2025-04-15
花図鑑(7)
 
 風の強い日が続いた。外出途上でトートバッグが荒海の小舟みたいに大きく揺れ、身体ごと風に持っていかれそうになる日もあった。ここは嵐が丘ではない、武蔵野なのだ。
 
 一昨年(2023)、主人の23回忌を終え、外出する日々が少なくなった。入浴は欠かせないのでバスタブ洗いは毎日やっている。2日に1度の部屋掃除はうっかり忘れ、3日に1度のこともある。
生鮮食料品はスーパーやデパートが徒歩7分ほどの場所なのでその日に調達し、牛肉のほかは冷凍保存を避けている。毎日、短時間でも出歩けば心身の刺激になるだろう。
 
 用もないのに台所の流し台の前に立ってぼんやりしていることがある。専業主婦を長い間やってきたのでそこが落ち着くのだろうか。気づいたら20分経過している。
 
 何をするにもスローテンポで、物忘れも多くなったのは加齢と疾病のせいとしても、思い違い、言い間違いが増えた。短針のない時計とまでは思わないけれど、長針の動きが鈍くなっているのは確か。針が止まっても内部が生きてさえいればまた動き出すだろう。が、時計に針がなくなったらおしまい。
 
 認知症は針のない時計だ。4歳年上の博多の従姉が夜中に徘徊して側溝に落ち、気を失ったまま翌朝、散歩中の知り合いに発見された。かすり傷ひとつ負っていなかったのは奇跡だとみなが言う。4月初旬の早朝は冷える。
従姉はサービス精神旺盛なタイプだった。「体力が低下してサービス精神も低下した」と電話で話していたが、それから1年も経たぬうちに認知症の兆候があらわれた。
 
 体力には自信があったのに、75歳を過ぎて急激におとろえを感じる。数年前からの悩みのひとつは、ソファで横になっているとき、足の膝下に震えがくることだ。
10代後半から20代前半、時々むなしさに襲われた。いまは虚脱にとりこまれそうになる。虚無と虚脱は異なる。若いころはほとんど虚脱状態にならないけれど、ある時期から虚無を感じなくなり、虚脱と懇ろになる。
 
 十分生きた。後悔はない。それでも昔日の思い出を語り合える相手が同居していればという気持ちは残る。数年前まで思いもしなかったが、老後の最大の楽しみは昔話である。
 
 1970年から1974年まで交流した男は記憶力がよかった。高齢者の特徴は直近の記憶ができなくなることだ。しかし彼なら昔の記憶は確かだろう。
後年(1990)、日本茶のペットボトルが発売された。彼なら言うだろう。「冷茶はまずまずだけど、温かいのはほうじ茶がいい、冷めてもおいしい。レトロな軍用水筒にほうじ茶を入れていこう」。
 
 「あたし、都はるみに似ているって言われたことがある」と言ったら、「どこが?」と返し、すかさず、「明るくて朗らかなところが?」と続ける。似ているのはそれだけだと言いたげな口ぶり。それであたしが、「こないだプレスリーの映画みてきたよ。エルビス・オンステージ。LP買った。【この胸のときめきを】、聴きたい?」
歌詞は「When I said I need you」ではじまる。まさにあたしの心境だった。彼は空気みたいで、ふだんは忘れることもあった。彼を意識しなくてもあたしは自由。でも空気なしでは生きられなかった。
 
 プレスリーの話から歌謡曲の話題になった。「郷ひろみ、可愛い」と言うと、「それ誰?」と彼がとぼける。従来の歌手になかった郷ひろみの独特の声、歌い方が可愛いのだ。男のルックスは郷ひろみとはほど遠いけれど、ときおり見せる何気ないしぐさがいい。
 
 あたしの家でビーフシチューを作ってくれた。「エプロン姿を見たい」と男に頼んで着せたエプロンが妙に似合っており、後ろからひもを引っぱったり、背中に指で字を書いて遊んだら、「邪魔だからあっち行って」と言われ、いったん離れたがすぐ戻り、またちょっかいをかけた。
 
 彼は子どものころの家庭環境について、宴会が日常化し、宴席の男の半数は軍歌を、女は流行歌や、神楽坂、日本橋葭町(よしちょう)の芸者歌手の歌を披露したらしい。「芸者ワルツ」、「ああ、それなのに」、「ちゃっきり節」、「もしも月給が上がったら」、藤本二三代の「祇園小唄」。
 
 知っている歌もあったが、祇園小唄以外の歌詞はチンプンカンプン。姐さんたちは音程がしっかりして声もいい、芸者ソングは安心して聴けると力説し、機会があれば芸者遊びをしてみたいとも言っていた。
 
 あれから気の遠くなる時間が過ぎて行った。時計の針はまだ動いている。正確に時を刻むのは現在ではなく過去。男と昔話をしているうちに時計は12時になる。短針と長針が重なるのだ。自力で自分のことができなくなる前に、風よ、どこでもいい、時計を止めて、二度と戻れないところへ連れて行け。
 


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