私たちの恋は風がかき集めた枯れ草の上に咲く花だった。昭和40年代の半ば、学生会館から大隈講堂に向かう一方通行の道を歩いていると、反対側から男がこっちに向かって歩いてきた。 
  
 ほの暗い道、かすむ街灯。時計の針が10時に追いつこうとしている夜、なぜここにいるのだろう。先に気づいたのはあたしだった。疾風がうめき声をあげて足もとに吹き込んだ瞬間、ダスターコートの裾が開いた。 
  
 男の目があたしの下半身にそそがれたとき身体が熱くなり、衣裳を脱ぎ捨てたダンサーの気分になった。それが恋のはじまりだった。 
  
 文豪の文章でも現場の生感覚に勝ることはない。経験はその場の空気、肌感覚で形づくられる。追体験してよみがえるのだ。 
  
 若いころは思いもしなかったけれど、ドラマの一場面、歌の一小節にも体験が宿っている。生きてきてよかったと思えるのは、胸のときめく経験ができたからだ。すぐれたドラマ、歌詞によって追体験し、時には旅をして胸がときめく。ささやかな人生のなかに見せ場をつくることができた。 
  
 男が老齢となって時間の感覚さえ危うくなったとしても、ドラマをみたり音楽を聴いているとき、コートを着て颯爽と歩くすがた、ミニスカート、新宿「中村屋」で大食いし、「こんなものじゃないよ、まだ食べれる」と言ったあたしの悪戯っぽい目を思い出してくれるだろう。 
  
 おしいものを食べに連れていってくれる。二人で旅ができなくても、「いいよ、行っておいで」と行かせてくれる。肩がこっていれば、要求しなくても「肩もんであげよう」と言い、もみほぐしてくれる。肩もみのエキスパートと自認しているから頼みやすい。そういう特典があるから共に暮らしたいと思ったのだ。なのにあの男は無軌道な行動をおこし逃げて行った。 
  
 漠然とした不安のなかであたしたちは幸せだった。あたしは彼にしか理解できない世界にいて、あたしのわがままに根気よくつきあってくれた。ふたりは人にはわからないかもしれない共通のことばで心をかよわせ、お互いを確かめ合った。100%心が通じ合う至高の体験ができた。 
  
 夫が亡くなって13回忌の2013年、思い切って自宅を売り、都内から武蔵野の住宅地マンションに引っ越した。それからの12年はまたたく間にすぎ、生活も質素になった。必要な生活資金さえあれば何もいらない。胸のときめく経験をしたこと、共有できたことに感謝。 
  
 男は駄菓子が好きで、ドライブに行くとたまに「スズメのタマゴ」か「黒棒」を持ってきた。「こんなの食べないよね」と言いながら駄菓子を食べていた。あたし駄菓子は苦手。「スズメのタマゴを食べ過ぎるとクチからスズメが飛び出してくるよ」と言ったら、次から持ってこなくなった。 
  
 若いころの思い出を語る相手がいなくなったいま、誰に向かって思い出を語ればよいのか。あれから半世紀以上たって結局、思い出を語っても真摯に聞いてくれるのはあの男だけかもしれない。 
遠くのほうで男は、そんなふうに考えているあたしを想像するだろう。喧嘩もしたけど愛された。喧嘩のシーンは思い出せない。写真を失い、顔もほとんど忘れてしまった。消えてはもどり、もどっては消え、そうして完全に消えてゆく記憶。残っているのは枯れ草の上に咲いた花だけだ。 
  
          
    上の画像は「書き句け庫」2010年1月3日の「あの日に帰る(一)」に掲載したものと同じです 
 |