2003-10-30
訪問者
 
 10日前だった、その男が連絡してきたのは。
母の学生時代の友人だといった。父とも同じクラブに所属し、父が会計幹事を担当し、その男が渉外幹事と関東古美術史跡連盟幹事を兼任していたという。父母とは長い間連絡が途絶えており、父からも母からもその男の名をきいたことはなかった。数年前から父の年賀状の宛名印刷はわたしが引き受けていたが、その男の姓をプリントしたことはない。
 
 7日前、M商事・ニューヨーク支社に単身赴任している父からメールが入ったので、その男について訊いた。父はすぐ返信してきた。その男の記憶はほとんどないが、たしかに学生時代にクラブにいた、特に訪問を拒否する理由はなく、問題もないという返事だった。
 
 5日前、男から連絡があった。来週の日曜、つまりきょうの都合はどうかと訊いてきた。こういうことはぐずぐず先延ばしにしないで、できるだけ早くすませたほうがさっぱりするように思えた。午後なら在宅しているというと、男はこころなしか緊張した声で「2時にお伺いします」とこたえた。
2日前、ニューヨークの父から電話があった。訪問者のことはすでにメールで知らせていた。父は、「どういうことのないただの古い知り合いにすぎないが、わざわざ来るのだから失礼のないように」とだけいうと電話を切った。
 
 きのう兄嫁がやって来て、ミラノ・オペラ座・引っ越し公演のチケットをおいていった。大学時代の親友が交通事故で急死し、今夕7時の通夜参列のため行けなくなったという。プッチーニ作「トスカ」の開演はきょう午後7時なのである。来客は午後2時に来る、余裕をもって5時半に家を出ても楽勝ペース、同い年の義姉は気の毒としかいいようがないが、高額のチケットを無駄にするのも勿体ない。
 
 きょうは朝からよく晴れた。家にいるのがもったいないような清々しい空気にみたされていた。朝食はこの数ヶ月、毎日同じメニュー。ニューヨークへもどった父のお気に入りのブルーベリー・ヨーグルトは食卓にのらないけれど、こんがり焼いたトースト、アカシア蜂蜜、ベーコンエッグ、フルーツトマト、キウイとグレープフルーツ、豆乳とブルーマウンテン。食後は庭の手入れ。
 
 このあいだから気になっていた冬の花の養生と雑草刈り。季節はずれの黄色のチョウ二羽をみた。黄色のチョウは母のお気に入り、飛んでいるすがたをみると明るくなるらしい。12時昼食。昨夜の肉じゃがののこりをいただいた。肉汁がしみてきのうよりおいしい。昼食の片づけをしていたら祖母が来た。この何ヶ月来客があると、石神井から青葉台までヘルプに来てくれるのである。
 
 午後2時ちょうど男はやって来た。
玄関先でわたしをみた瞬間、驚きの色が映しだされたような目をしたが気のせいだったかもしれない。男は直立不動の姿勢を保ったまま口をひらいた。
 
 「おはつにお目にかかります。渋谷と申します。無理をきいて下さいましてありがとうございました。」
 
 「遠いところをお越し下さいまして‥。どうぞお上がり下さい。」
 
 型どおりの挨拶のあと男は靴を丁寧にそろえ、短い咳払いをしていった。
 
 「こちらのお住まいにお引っ越しなさって何年になりましょうか。」
 
 「15年ですが。」
 
 「‥そうですか。では、ご両親は15年間池上にお住まいだったのですか。」
 
 「ええ、そういうことになりますね。わたくしは池上の家は8年ほどですが‥。」
 
 「お兄さまとお幾つはなれておいでですか。」
 
 「兄とは4歳ちがいです。」
 
 「お兄さま、去年ご結婚されたとか。」
 
 わたしはこの種の会話は苦手だが、男の顔にも〈こんな会話は大の苦手です〉と大書してあった。
お互いの口を封じるには手っ取り早く本題に入るにかぎる。陳腐な序曲は飛ばしたほうがよさそうである。  
 
 「はい。‥‥こんなところではお話もできませんので、どうぞこちらへ。」
 
 「では、失礼いたします。」
 
 客間はふたつ、洋風の応接間と、ぬれ縁のある和室。祖母にきいたら、和室にお通しするほうがいいのではといったのでそうすることにしたのだ。男は座敷にすわるとすぐに大きな包みを差し出した。
 
 「6年前、それまでの仕事をやめて養蜂をはじめました。」
 
 「はぁ‥‥。」
 
 「量が多いとお思いでしょうが、はちみつは腐りません。アカシアのはちみつです、お母さまがお好きでした。」
 
 男はわたしのこころを読んでいるかのようにそういった。はちみつの蓋を母が開けると、春咲く花の半開きになったつぼみよりかぐわしい匂いがした。母がはちみつをトーストにぬると、はちみつはトーストの温かさにこらえきれなく溶け出して、お皿にながれ落ちはじめる。それを指ですくってわたしの唇に持ってゆく母のしぐさをわたしはひどく好んだ。
はちみつと母の指が一体化し、なんともいえないほのぼのとした触感がわたしの唇の粘膜にまとわりつくのだ。いつだったか、わたしがまだ子供のころ、母がいったのを突然思い出した。
 
 『こんなことしてハチミツ食べるのは品がないけど、スキンシップになるって教わったものよ。』
 
 だれから教えてもらったのか、そのときはスキンシップということばだけが妙に心にのこったせいか聞きそびれてしまい気になっていたが、そのうち忘れてしまった。その後も時々、母はスプーンを使わず指ではちみつをすくって唇にはこんでいた。
高校受験をむかえたころ、そういうしぐさになまめかしさをおぼえるようになった。そのころ母は四十を幾つかこえていたろうか。祖母がお茶をはこんできて追憶は途切れた。が、祖母はあらたな追憶に道をあけわたしたのである。祖母が座敷に入ったとき、男は凛然といずまいを正した。
 
 「渋谷さん、お久しぶりです。」
 
 「‥お母さん‥。」
 
 「本当にお久しぶり、30年ほどになりますか‥‥。」
 
 「31年ぶりです。」
 
 「お変わりなく‥。あの頃とちっともお変わりにならないですね‥。」
 
 「‥‥‥。」
 
 「‥‥真理子も急なことで、渋谷さんも驚かれたでしょう‥。」
 
 「‥‥」
 
 「前の日は一緒に歌舞伎座にいたのですよ。とても元気で、銀座アスターで中華料理なんぞをいただいて‥‥。
なんですか、くも膜下出血でね。病院にはこばれる途中で‥もう、息がなかったようです。」
 
 「‥‥」
 
 「遠方ですのに、わざわざお線香上げに来てくださったんですね。」
 
 「‥おさしつかえなければ、先にご仏前へ‥。」
 
 「そうでしたね‥。なっちゃん、‥孫のなつ子です。真理子に生き写しでしょ。」
 
 男は祖母に連れて行かれた。それは伴うとか引率とかではない、連れ去られるかのごとく仏間へ消えたのである。わたしは呆気にとられ、あとを追うのが悪いような気がして悄然とその場に立ちつくした。ふと庭先をみると、黄色のチョウが二羽、追いかけたり追いかけられたりしながら、戯れ合って飛んでいた。そのまま飛んでいるかと思うと、さっとヴァイオレットの葉裏に隠れてしばらく出てこない。葉裏で休んでいるのだろうか。
 
 縁側に出た途端、二羽のチョウはいきなり葉裏から飛び出して、あっという間に塀の外へ飛び去った。そして小一時間もたったろうか、祖母と男は座敷にもどってきた。それからまた母の思い出話はつづいた。わたしの知らない母がそのなかにいた。祖母の話ぶりから、時任という男は母と親しかったのがつたわってくる。ミコちゃんという名も何度か出てきた。母の妹は由美子という。
 
 いつの間にかわたしも会話に加わっていた。母の大学時代の話は、まるでそこに母がいて、いまにもはちみつを指ですくって、わたしの口に、そして、男の口にはこんできそうな実在感があった。もう6時を過ぎた。いまからオペラ行きの用意をしても間に合わないし、オペラはもうどうでもよくなっていた。
 
 信じられないほど若返った祖母、50代半ばなのに30代にしかみえない男。そして30年前の母。時間が飛んでしまったいま、追憶はもう追憶ではない。かれらの心の風景はすべてこの瞬間にクローズアップされ、映像となって映し出されているにちがいない。
わたしはこの数ヶ月味わったことのない充足感にみたされた。わたしたちは四羽の黄色いチョウになっている。

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