長男、長女の子育てに忙殺され、学生時代を懐かしく思い出す余裕はなかった。思い出したいこともそうでないこともひとまとめに忘れてしまった。時間は飛び去ってゆく。長男が結婚してまもなく配偶者が旅立った。あたしが家庭を持ってすぐ子持ちになったように長男も長女もすぐ親になった。こんどは孫の世話に忙殺された。
小学生高学年になって孫を一時預かりすることもなくなり、やっとこさ長年住み慣れた都内の一戸建てから都外近郊のマンションに引っ越した。それから8年くらい経ったころ、何がきっかけでそうなったのかわからないし、、完全に消えたはずの記憶がよみがえってきた。
1971年から72年にかけての1年半、交流のあった男の車で頻繁にドライブした。遠距離は房総半島、御前崎、近距離は早稲田から下木崎にあった自宅まで。東京と埼玉を隔てる荒川を深夜に何度わたったことだろう。
高田馬場から池袋方面に向かい、中山道(国道17号線)を進み、北区板橋、埼玉県戸田、蕨をぬけて浦和。真夜中の17号線はガラ空きで快適、常時60キロ〜65キロで走れた。
よく知らないころからあの男の視線を感じていた。たまに学館でみかけると軽快さのうちに潜む信念の強さが伝わってきた。しかし気持ちが男に傾いていったのは、あたしに対する敬愛の念だった。思い過ごしではない。
男はあたしを色目で見ていなかった。空虚を埋めるために交流をつづけるのでもない。何よりもよかったのは気持ちを推しはかる能力に長け、会話が弾み、話が通じたこと。逢っていても、たのしいときは恋愛中の男女、喧嘩するときは夫婦だった。ムキになって喧嘩した自分に呆れる。
明るく陽気で繊細な女も喧嘩するとふくれっ面になる。感心なのは、あたしがふくれっ面をしても、何を怒っているのかと涼しげにしていたことだ。真顔で涼しげになるから余計に腹が立った。逆パターンで男が怒り、あたしが涼しげな顔をすれば芝居っぽくなってしまう。50年経過して、ふくれっ面が懐かしいと言いそうな男。
交流がはじまって半年ほど経った日、男は「脚、きれいだね」と言った。脚だけかいと思ったが、「そう見える?」と返す。男のことばを気にしていたのだろう、同好会同期の女性が言ったことを思い出した。彼女と合宿先のお風呂に入ったとき、あたしを見て「きれいな肌ねぇ」と言ったのだった。
わざわざ男に話したのはクチが滑ったのだ。男の反応はおぼえていない。きれいなのは脚だけじゃないよ。面と向かってそうは言えないとして、裸を見ていないから想像するしかないよ。
それまでのあたしのデート場所といえば美術館、博物館が多く、恋愛気分を味わう機会が少なかった。男をまず誘ったのは映画「風と共に去りぬ」。
レッド・バトラーとは似ても似つかぬ男だけれど、スカーレットの心境をもう一度確認したかった。娘が落馬して亡くなりバトラーが去ろうとしたとき、スカーレットが止めなかったのはなぜか。理解できなくても考えたかった。
日比谷や京橋でさまざまな洋画をみた。心に残るのは「ドクトル・ジバゴ」。「風と共に去りぬ」の音楽以上に感動した。ジバゴの半生はバトラー同様ドラマティック。バトラー役クラーク・ゲーブルのような美男子はそうざらにはおらず、でも、ジバゴ役オマーシャリフの独特の風貌、演技に心を奪われた。
ジバゴがあらわれるシーンの背景を「なんともいえずいい色だね」と男は言い、それから「ジバゴの色」で通っていた。ミスティ・ブルーはジバゴの色であり、大好きな色だ。「アラビアのロレンス」のストーリーは傑出しているとは思わないが、ロケーションと音楽、ロレンス役ピーター・オトゥールが印象的だった。
映画鑑賞後、作品についての感想は話さなかった。たぶん、なんとなく言いたいことがわかったからだろう。日比谷のホテルのカフェで定番となったババロアを食べながら何を語り合ったのだろう。
沙漠へ行ってみようと思いはしたが結局果たせなかった。結婚の遅れた男は交際しているさなか就職試験勉強を放りだし、4週間もアフガニスタンの岩沙漠へ行った。別れてのちも北アフリカや中東の沙漠を経験している。何がさいわいするかわからないよ。
映画ってなんだろう。「みるは一時の損、みぬは一生の損」だなんてオーバーなことを言っていたけど、生きる糧にならなくても、50年経っても忘れられないのは美術展ではなく映画だ。
利いたふうなことを言っても、頭でっかちの審美眼は感動を生みだしにくい。ロダン展、ダ・ヴィンチ展と記憶をたどって、数十年前の美術館で得た感動をおぼえていますか。美術鑑賞は教養の数を増やしはするけれど。結局、比較するものが多ければ多いほど審美眼を鋭くする。
交流で得たものには満足感、快感のほかに不快感、不満も横たわっている。そういうのが苦手で交流も、ちいさなトラブルも避ける。それはそれで問題ないとしても孤独は解消されない。交流があっても孤独なのだ、交流もなければ身の置きどころはどうするの。
昔を追懐すると感慨も深まる反面、バカみたいと思わぬでもない。ここまで話すと花図鑑も何もあったものではなく年寄りの繰り言にすぎない。最終回をこんなかたちで終わらせたくないので、いったんお終いにして、運よく若返ることができたら続きを書きたいと思っています。
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