2024-02-22
花図鑑(2)
 
 記憶は砂に刺したつまようじみたいなものだ。かすかな風で移動し、短い時間で砂に埋もれる。砂をかきわけてもどこへ行ったかわからず、突然あらわれる。失態とか恥辱はとろけるような甘い記憶のコインの裏表。一方を思い出して他方を消去することは難しい。
 
 学生時代、1970年代前半、秘密裡に交際していた男がいた。70年11月の夜9時半過ぎ、大学正門近くでその男とすれちがいざま身体に電気が走った。うす明かりのなか、人通りの途絶えた細道をうつむき加減に歩く男は数メートル手前で気づき意外そうな顔をした。
あたしが感じたことを察知した気配はなかったが念のため声をかけた。男は応えるのをためらうように何か言った。立ち話をするわけでもなく、ただそれだけの通りすがり。
 
 12月、実家に帰っていた男はあたしの手紙を読み渋谷にもどってきた。71年3月、阪急電車の苦楽園駅前で待ちあわせして男の車で奈良へ向かった。早春の奈良を歩いたはず、でもどこへ行ったのだろう。帰京し人で混み合う土日を避け平日にデートを重ねた。
日比谷の映画街、御宿(おんじゅく=千葉県)、御前崎へのドライブ。明治神宮の花菖蒲。海を見たいとあたしが言い、男は、ついでに沙漠は?いっそ鳥取砂丘?と言ったが、日帰りで行けるところでないと。御宿は「月の沙漠」発祥の地。
 
 日比谷へ直接行く場合、有楽町駅で待ち合わせず、映画館前で落ちあったのは駅は人目につくと思えたからだ。お昼は銀座のイタリー亭でパスタ、ティータイムなら帝国ホテル1Fカフェのババロア。デートの日は不思議と晴れていた。帰省している男に出した手紙の末尾に「雨の音をききつつ」と書いた。雨が降ると逢いたくなった。
 
 交流が始まってまもなく漠然とした不安がつきまとい、遠ざかりたいという気持ちとその反対の気持ちが交錯する。「海を見たい」と言うと連れて行ってくれたのは遠い海岸だった。
鎌倉も小田原も通り過ぎ西へ走り、車を降りたのは御前崎の砂浜。黙っていても会話している気分になる。ことばは要らない。心を読めるのだ。
 
 71年7月か8月の深夜、あたしの家へ車で送ってくれたとき、空き地で抱き合った。もどかしさから解放されたかったのかもしれない。それからは堰を切った急流のようにデートのたびにくり返した。車は誰にも邪魔されない手軽な小部屋だった。
 
 車内は狭く窮屈。大胆な行動をとりにくい。痴態を見られたくなかったので男が喜びそうなことをした。身体の部位を見られるのと、あられもない姿を見せてしまうのとは別のことで、恋愛中、痴態を見せないのは女の心得だ。
 
 71年、寒い冬の夜、甘いひとときを過ごしていたとき、懐中電灯で車内を照らされた。「何やってるの、あんたたち」。老年に近い中年女性だった。あわてて身繕いしたら、「何度も見ていたんだよ」と女は叫んだ。人家を離れた空き地へわざわざ偵察に来るとは。
男は老女に一喝した。「変態みたいなまねして恥ずかしくないのか!」。色欲を見たいという老女の色欲。と思っても顔から火が出るほど恥ずかしく、「ごめんなさい」と口走ってしまった。
 
 夜ふけの空き地で老婆に非難される筋合いはないとぶつぶつ言って男は車をスタートさせた。運転しながら「災難だったね」と言う。慰めにはならないが、あたしの気持ちを慮ってのことばだった。車に近寄ったのが老女だったからいっそう恥ずかしかった。
「ごめんなさい」は選択肢のひとつで、100分の1秒〜10分の1秒に開き直ってやろうかという考えも浮かんだ。そうしなかったのは自分らしくないというとっさの判断だ。
 
 その夜から男もあたしも車のなかで求め合うことはなく、どこで求愛したのか思い出せない。
 
 二度目の御前崎は台風接近の三日前。水平線の彼方に嵐の予感があり、低くたれこめた暗い雲と波打つ灰色の海を見て、すぐUターンし、新宿の中村屋でチキンカレーを食べたような記憶がある。
 
 72年秋、求め合わなくても深まってゆく愛に気づいた。会話がなくても、何もしなくても愛されていると伝わってきた。失態も過ぎ去れば果実となる。欲望に負けた魂は強靱となって欲望への免疫力を増し、自戒の念が愛を支える。求め合った記憶は50年たっても失われず、求めなくても愛は深まることを経験で知った。

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