2022-06-21
夢で逢う
 
 2階建ての家の2階に間借りしているのかわからなかった。何年ぶりかでばったり会い、別れた男を招き入れる自分の気持ちはもっとわからなかった。男とは昔に切れていた。だから平気で「寄っていかない」と言ったのだろう。気づいたら向かい合わせですわっていた。
 
 会って話してみるものだと思った。誰から聞いたのか、別れてから7年間の暮らしぶりを知っている。一年後輩で、都内の大手デパートに就職した男性は豊島区の都立高校出身で都内に住んでいる。不可解なのは、あたしに息子と娘がいることを知っていたことだ。
 
 しかし夢のなかであたしには子どもがおらず、夫と別居中なのである。現実の自分と異なる自分。「ひざまくらしてあげようか」と言う。スッと膝を曲げ、くるり横になる素直な姿勢と間合いが子どもみたいで、耳かきがあれば耳の掃除もしようという気持ちになってしまう。サービス精神満点の自分にギョっとする。
少年時代、どんな子どもだったのかたずねると、「夜、布団のなかで仰向けになって泣くと、左右の涙が混じる」と言った。妙に納得してそれ以上たずねなかった。
 
 過ぎてしまえば何にでも素直になれる。男とつきあっていた数年、食べるときは素直だったと思う。あたしは食欲のかたまりで、新宿の老舗レストランでは、お腹にこたえそうなシチューふうスープ、ボリュームたっぷりの串刺しの肉を食べたあとに名物のチキンカレーを食べた。
さらっとしたご飯、二人前はあるカレーは別の容器に入っており、あたしは残さずぜんぶ平らげた。鶏肉の苦手な彼も、ほぐした鶏肉なら問題ないとでまかせを言いながら食べていた。
 
 日比谷で洋画をみてから食べる銀座一丁目のイタリア料理店のラザニアとカネロニは美味で、特にオニオングラタンは絶品。グラタンの下のスープの色は黒に近い焦茶で、コクがあるのにしつこくなく、飽きがこない。「大盛り注文できないかな」と言ったら「頼んでみよう」と言う。「こんどね」と返事した。よく食べると思っていたろうから言ってみただけ。
 
 ほの暗い照明、赤と白のチェックのテーブルクロスは、映画の話なんかしないのに映画の一場面のようで、料理が一段とおいしかった。彼に逢いたいとは思わないけれど、オニオングラタンの味が変わっていなければもう一度食べたい。
 
 部屋でリラックスしてるはずなのに彼の感触が消えた。すがたはなく、森のなかを走る彼が見えた。木々の間から出てきた女を抱きとめて走る。急流にかかる縄の吊り橋の手前で立ち止まり振り返ると、数名の男が彼らを追っている。
吊り橋をわたって向こう岸へ行こうとしたが、そこには別の男たちが待ちかまえていた。彼は女を抱きかかえて飛んだ。ざぶんという音がして川底まで沈み、もがきながら水面に浮上した女の顔を見た。あたしだった。
 
 はやい流れはゆるやかになり、片手で抱かれたあたしは流されながら気持ちよさそうにしている。そこで目がさめた。
追懐は懐かしかったことを思い出すのだろうが、懐かしくなくても綿々と思い出すこともある。
 
 「美の反対側に醜さなんてない。美の反対側にあるのは荒涼だ」という彼の言葉。なんとなく理解できた。法隆寺の救世観音は柔和、東大寺戒壇院の広目天は厳しい雰囲気なのに、何度会っても初めてデートするときのように胸がときめく。
苦難に直面し心がすさみ、美しさを感じとる力が一時的におとろえても、そこから脱却すれば美は近寄ってくる。美を見極めようとする心は失われない。
 
 順風満帆の状態で荒涼たる風景に出会っても荒涼の何たるやはせまってこない。荒涼たる風景は美しい風景より長く記憶にとどまる。荒涼と厳しさは孤独と隣り合わせで、孤独で生きることは難しい、が、孤独なくして生きられない。
 
 仏像は愛を得るためにほかの愛を捨てることはなく、そういう選択をせまられるのは人間なのだ。拒絶しても愛は絶え間なく生まれる。一つの愛を得るためすべての愛を捨てなければならないとすれば拒絶されるほうがいい。
 
 車のバックミラーを上目で見る彼の、チラっとではなく凝視するときの目つきがイヤな感じだった。学生センターのピンク電話に連絡したとき、同郷の下宿仲間に話しかける関西弁もイヤ。嫌いなこともよみがえってくる。声はほとんど忘れてしまったが、声の調子が記憶の奥に残っているのだ。
外房をドライブした帰り、些細なことで口論となり、激怒した彼は突然車を路肩に止め「降りろ」と言った。中央分離帯のある3車線で道路は空いており、うしろからビュンビュン車が通り過ぎる。助手席のドアを開けるとぶつけられそうでじっとしていると、彼が路側帯に降りて、サイドブレーキをまたがって降りるよう促した。
 
 そういう状況で火に油をそそぐのはよくない。あたしは涼しい顔を装って怒りが鎮まるのを待つ。それからどうなったのかおぼえていない。何事もなかったかのように、しかし押し黙ったまま家に送ってくれたのだろう。家に帰ったら腹が立ってきた。あんなヤツ、どうにでもなれ。冬は喧嘩の季節だった。
 
 一週間もたたないうちに地下鉄早稲田駅の地下から地上に上がる階段で会った。むこうは下り、こっちは上り。ハッとするあたしを見て驚くようすはなく、涼しげな彼になぜか怒りは消えた。
めぐりあいはそういうことのくり返しかもしれない。あれから半世紀、夢で逢うことさえなくなった。甘い思い出より喧嘩を懐かしく思い出すのもめぐりあわせなのだろう。

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