2011-03-15 Tuesday
報道と追体験
 
 電気も電車も情報も来るのがあたりまえの世界に慣れきった都会人にとって、あたりまえでない世界の出現は衝撃でもあり、不快でもあったろう。計画停電自体は必要措置だから協力するほかないが、東京電力の不手際による東京大混乱は緊急事態への備えがお粗末すぎて、初体験だから大目にみようという気にもならない。想定外ということばですまそうとしているのも片腹痛い。
 
 政府の対応は、福島第一原発ほかのことに関して枝野官房長官は話を長びかせるだけで、聞くことさえ厭われた。現場の作業員は身命を賭してがんばっているのだ、東京電力も政府も事務方はせめて正確な情報を迅速に伝えることによって使命をはたすべきであるし、被災者支援の税金投入は当然、わざわざ強調することではなく、野党も反対しない。必要なのはまどろこしい講釈ではない、迅速な実行である。
 
 15日早朝、内幸町・東電本店会議室に菅首相が乗り込み、原発事故(爆発)の官邸への報告がテレビ放映から1時間たっても連絡はなかったと東電幹部に不満をぶつけた(YOMIURI ONLINE)そうである。怒声は会議室の外までとどろいたらしい。これに対して政府内から「冷静な対応を国民に呼びかける首相が冷静になっていないのではないか」とか、「現場が萎縮すれば逆効果」と疑問視する声もでていると読売ネット版は記している。
 
 ことは急を要する、危機回避は早いにこしたことはない、対応が5分おくれれば最悪の場合、放射線漏れが人的被害をもたらすこともありうる。しかしながら現場を熟知しない一介の首相が何をするというのだろう。口出しすれば余計な混乱を招くだけだろうに。勇み足がすぎるとバカにみえるのを知らないのか。
尖閣問題、胡錦濤会見ほかで失態をくり返し、もともとイラ菅の異名を持つ首相の勇み足が迅速であるべき対応に水を差したのではないか。東電の士気のたるみを非難するからには首相にもそれなりの責任を伴うことを自覚すべきだが、菅首相には自覚も責任感のかけらも感じられない。怒声を浴びせるだけ浴びせて、お前が責任を取れというのでは誰もついてこない。
 
 それにしても菅内閣は東電幹部になめられたものだ。枝野、蓮舫など子ども内閣の面々は事と次第によって今後も企業幹部から軽視されつづけるのは避けがたい。追及する側の常識は追及される側の非常識ということもあり、面々の浅薄なキャリアと姿勢は世の中の実態とかけ離れている。子どもが大人の態度を改めさせるには喧嘩腰でなく誠実と覚悟を要するだろう。その上で腰を鍛えておくことだ。パワフルアダルト相手に腰くだけでは話にならない。
他方、硬直化した官僚機構と許認可制度も国内外からの支援の邪魔をする。役人は法律をタテにダメ、認められないの一点ばりである。超法規的措置を断行する気迫を持てと民主党政府にいいたい。ともかく空前絶後といえる非常時だ、これまでの経緯を乗り越え官民一体となって事に当たらねばならない。
 
 緊急事態、大惨事が起きたとき冷静でいるのは簡単なことではないとして、それでも冷静になるべきと思うのは、自分の考えだけに固執せず周囲のさまざまな智恵を受け容れる心を忘れないための冷静さが必要であるからだ。一人の智恵には限りがある、自分より他者のほうがすぐれた意見をもっている場合は多い。智恵者の意見、提案に耳を貸すことがすなわち智恵でもあるだろう。ただし、会議や委員会の乱立(による指示系統の分散)は収拾不能を生じさせるので厳に慎むべきだし、頼る相手を間違うとロクなことはない。
 
 時の経過と体験の積みかさねで16年前にみえなかったことがみえてきたような気がする。1995年冬は大地震の被災者であったせいか、テレビから流れる映像はわがこととして受容せざるをえず、局アナの口調や姿勢の細部を読み取らなかったように思う。
瓦礫の山と化した家屋の上で記念撮影していた男女カップルに唖然とし、表現は不適切だろうが、どこの馬の骨ともしれない若者に対して憤りがこみあげ、思わず怒鳴った記憶もある。彼らの心根は、義援金サイトと称して心ある人から金銭を巻き上げる輩と変わりない。
 
 東北をおそった巨大地震と大津波のTV映像をみて、ニュースキャスターの不見識にはうんざりさせられた。夜のテレビ朝日・某メインキャスター、体験してもいない者が被災者の気持ちを解説することはできない。「さぞ無念でしょう」と体験者の気持ちをわかっているかのような物いいをする不可思議。想像と体験の差はあまりにも大きい、なすすべもなく家も家族も失った人間の実感は本人にしかわからない。
キャスターによってはスタジオ内なのに目はウロウロ、ふだんの放送は原稿を読むばかりで自分自身のことばを持っていないから、何をしゃべっていいのか見当もつかないありさま。新米だからしかたないというものでもないだろう。テレビ報道の重要性に鑑み、キャスターは細心の配慮を払ってもらいたい。
 
 ピントのはずれたキャスターの多いなか、杉尾秀哉、安藤優子、渡辺宜嗣、長野智子の実況はスタジオ現地の別なく傾聴に値した。ムダな形容詞がなく、簡潔・的確に表現するからである。安藤と長野は元フジテレビ局アナ。安藤は志願兵さながら現地に赴き、気持ちのこもったイキのいい報道をする。NHKの武田真一、ベテラン・畠山智之は落ち着きのなかに訴えるものがあり、出山知樹は緊迫感に満ちている。
 
 フジテレビで思い出すのは1985年8月12日の日航機墜落事故の取材。翌13日、局アナ・カメラマンが幾手かに分かれて御巣鷹山の道なき林を這い上がり、救助隊の川上慶子ちゃん救出映像をお茶の間に送ってきた。JL123の名は絶えたが、大阪東京を頻繁に往復していたころ123便に何度か搭乗した。2日後の8月14日、急遽予約した伊丹発羽田行・日航便に家内とともに搭乗し上京、箱根強羅で御巣鷹山の方角に向かって祈りをささげた記憶がよみがえる。
 
 阪神大震災ではおびただしい数の家屋倒壊はあったが土台は残っていた。東北巨大地震の津波は家屋を土台ごと破壊し流し去った。幾多の修羅場をかいくぐってきた英国救助隊のキャプテンらしき男性さえ、このような惨状をみたことはないという表情だった。奇跡的に助かった人たち、自衛隊・精鋭部隊や消防庁救助隊によって救出された人たち、自力で高台に走って命拾いした人たちのすがた、声をテレビで見、聞くたびに目頭が熱くなる。
避難中たいへん世話になった義母、通信回復後いち早く連絡いただき援助を申しでてくださった瀧田眞砂子さん、諏佐美恵子さん、震災の傷痕は消えても感謝の念の消えることはありません。阪神大震災のまっただなか被災者であったときは一滴の泪も出なかったのに、いまになって出るのはどういうわけだろう。

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