A　TopicⅡ

竹本住太夫と片岡仁左衛門である。住太夫は十三世仁左衛門（当代の父）と親しい交流があった。先代もその父十一世仁左衛門も文楽への造詣が深く、いや、造詣などというものではない、大の文楽好き、義太夫好きというほうが適しているだろう。

　歌舞伎の義太夫狂言に対して人形浄瑠璃を本行という。本行（ほんぎょう）は根本とか本源を意味し、本来は能、狂言を指すが、歌舞伎が人形浄瑠璃を重んじる気持ちがそう呼ばせるのである。

　歌舞伎の舞台に上がる太夫、三味線は本行の人たちに較べると数段落ちる。失礼な言い方かもしれないが事実である。何度か文楽を聴き（みるのではない）にいった人ならだれでも知っていることである。だから住太夫は客席でしかめっ面をする。それを役者は舞台からみている。

　坂田藤十郎や沢村田之助、団十郎、三津五郎などは目も耳もよい。一階前席で集中してみていれば、客の「気」が役者に伝わる。気を大切にする代表格は猿之助で、講演のなかで盛んに気という言葉を繰り返していた。幕ノ内弁当が楽しみの団体客はロクすっぽ舞台をみておらず、気がだらけている。そんなときは役者も芝居に身が入らない。

　団十郎は時々薄目を開けて客席を盗み見している。「阿古屋」の畠山重忠のとき、阿古屋の玉三郎が三味線、琴、胡弓の三楽器を演奏している間、何もすることがないからという理由だけではない、客席が気になるのである。あの大きな目だ、薄目も人より大きい。

　三津五郎にいたっては、最近はそんなことはないが、八、九年前は最前列の客が居眠りを続けていると露骨にイヤな顔をした。そりゃそうだろう、そのおばあさん、役者のセリフのないときは舞台をみているのだもの。

田之助なんかはいつだったか、松竹座で「引窓」のお幸を演っていたとき、一階席一列目１０に座していた私の家内をチラチラ盗み見して、自分の番がまわってきたらずいぶん間があって、おまけにセリフを間違えた。

　対談で仁左衛門が語っていたのは、「前の席でお年を召した女性が、隣の女性に筋書きを説明なさってる、舞台にはっきり聞こえる声で。板の上にいる役者の説明もされてるのやけど、役者名を間違えてはる‥。あんまりやかましいので、或る役者が人差し指を口に当ててシーっと言うたら、『しゃべったらアカンねんて』とおっしゃいました。」

　住太夫は、「上演中に席を立ってウロウロされるのも気になりまんな。消えはったと思えば、しばらくしたら戻ってきてウロウロしはる。浄瑠璃語っていると気になってしようがない。お手洗いは演目がはじまる前に行きなはれと言いたい。」

「文楽とか歌舞伎は教養やおまへん。ただの娯楽です。娯楽やから肌で感じてもらいたい。ストーリーとか語りはわからんでもかまへん。みてるうちになんとなくわかる。古典やいうけど、文楽・歌舞伎の演（だ）しものは当時の三面記事でっせ。格調の高いもんでも難しいもんでもない。」

　歌舞伎の醍醐味は理解することではない、感動することであり、役者の芸に酔うことなのである。そういう力量をそなえた役者の芸をみることなのである。同じ狂言（演目）でも役者がヘタだと感動もなければ酔わせてもくれない、理解はさせてくれるが。（文楽の場合は「役者」を「太夫」、または「人形遣い」に置き換えてください）

　「東京からみれば関西訛りやいうが、逆や。京の都からみれば、訛ってるのは江戸言葉のほうです。そやから私は言いますねん、この人（仁左衛門）の子供（孝太郎）の言葉も、藤十郎の子供の言葉も訛ってる。」

　「近ごろの評者はあきまへん。なんでもほめる。そやからみな天狗になる。客もすぐ拍手する。特に東京の客はそや。なんべんも拍手されると、はよ終われと催促されてるみたいな気分なる。関西の客は厳しい。そんな芸に手を叩けるかいう顔してる。そやさかい芸が育つ。」

　「文楽も歌舞伎も戦中戦後はたいへんやった。映画全盛時代は閑古鳥啼いてました。先代（仁左衛門の父）も苦労しはった。この人（仁左衛門）が映画に出たとき渋い顔してはった。孝夫も映画に出よりましてね言うてた。それに較べりゃ今はええ時代。良すぎて悪い。」

　「松竹からタダ券まわってくるけど、私はタダで歌舞伎はみまへん。みたい席でみます。目のええ田之助が舞台からよう見とる。お師匠さん（住太夫）、床（歌舞伎の浄瑠璃）がヘタやからしかめっ面してはる言うてね。」