2006-10-15 Sunday
信じられない
 
 開口一番、日本ハム監督トーマス・T・ヒルマンが放った言葉である。時は秋、所は札幌、王者ソフトバンクの胸を借りてプレイオフを戦った日ハムは2連勝し、パリーグを制覇した。
 ヒルマンは再び日ハムファンと共に合唱した。「一、二、三、四んじられな〜い!」。
 
 昨年はボビー・バレンタイン率いるロッテ・マリーンズがパを制した。2年連続で外国人監督チームが優勝の栄誉に輝いた。プロ野球のみならず、プロスポーツの趨勢はそういった方向に傾いている。監督の国籍は問題ではない、姿勢の真摯さが問題なのだ。
日ハムの各選手が懸命にがんばって結果を残したといえるが、ヒルマンの真摯が選手に通じたのかもしれない。
 
 むろん、ヒルマンが発した言葉はウケ狙いのパフォーマンス。「信じられな〜い」を繰り返した「一、二、三、四」云々はスタッフの入れ知恵であろう。日本人が考えそうな語呂合わせだ。当世の若者がしばしば口にする「信じられな〜い」、あるいは「理解できな〜い」というくだけた調子をマネしたのである。彼らは時にふざけて、時にマジでそういう言葉を発する。
この世は信じられぬこと、理解できぬことに満ちていて、経験を深めれば深めるほど理解できぬことだらけであると理解できる。
 
 ところで、野村克也楽天監督が、「松坂がいなくなったら困る」との発言をしたという。西武のエースであるだけでなく、球界を代表する投手・松坂のメジャー移籍が決定的となった今日、「一流がいなくなったら、一流選手が育たなくなる」と、松坂の流失に苦言を呈した。
私は野村氏の見解に賛成できない。21世紀のプロスポーツはすでにインターナショナルを志向している。20世紀末以降、国際化は政治経済に顕著なものではなく、文化、芸術など多くの分野に浸透し、とどまるところがない。
 
 話は今日的トピックへ飛躍する。
独裁者や軍幹部が自らの保身・延命のため国民を犠牲にすることを許すべきではない。犠牲は、言論・思想の弾圧というような抽象的なことではない、生活の困窮、飢餓といった、死に直面する犠牲ということである。国際社会の趨勢は、そういう事態を回避するために一致協力する方向に動いている。
 
 国際社会と正反対の方向に動いている独裁国家・北朝鮮の非人道主義を支援する中国・ロシアは百年おくれている。社会主義も自由主義もない、最優先されるべきは人道主義である。飢餓の危機に瀕している国民を救うのも、拉致問題の解決も人道主義に依る。
その点、中国は普通選挙に背を向け、民意を阻むこと半世紀、19世紀型の軍事大国としかいいようがない。12億国民を集約するための制約ということもあろうが、巨大人口を集約できると思うほうがどうかしている。信じられない。
 
 中国側からみれば、北朝鮮に較べればウチはまだマシと言いたいところであろう。北朝鮮はウチに較べれば百年おくれているわいと。が、そうは言わないのが中国、政府も言論統制されている。
 
 松坂が離日することを、「パの損失や。プロ野球も終わるよ」と野村氏が言ったそうである。本気で言ったとすれば、シンジラレナ〜イ。日本で生まれ育った松坂が海を越え野球の本場で活躍する機会を得る、これにまさる好機はない。
野球をする者すべてかどうかは知らぬが、その多くはメジャーを見据える。古い新しいの問題ではない、野球選手のめざす究極はメジャーで実力を発揮することにある。プロ野球の質的向上にメジャー志向が一役かっているのだ。
野村氏の言はトンチンカン、時代の趨勢に水を差し、スポーツ選手の理想を逆撫でする。ボヤキ発言が売りの野村氏とはいえ、信じられない。
 
 閑話休題。
 
 ダルビッシュ有が自らの持てる力を発揮できたのは幸いである。ダルビッシュについては、「今日のトピック」2003年8月30日「ダルビッシュ・有」に記した。生意気なだけの球児が甲子園に来て成長する。それを糧に格上の選手に伍すべく、さらに成長してゆく。
 
 プロ野球の原点は高校野球であると思う。甲子園で戦う球児をみるのは年二回の楽しみである。球児すべてとは云わぬまでも、白球を追う真摯な姿は、信じられるのである。

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