2006-08-21 Monday
世紀の名勝負
 
 夏は甲子園の高校野球である。高校野球に賭ける観衆の思いはさまざまであるが、何よりも甲子園の戦いをとおして成長する選手たちの姿を見ることが楽しい。成長を遂げるのは選手だけではない、監督も甲子園で成長するのである。
 
 準決勝、決勝に駒を進めるようなチームのほとんどは甲子園に来て強くなる。厳しい練習で鍛えた身体と心が、実践でさらに鍛えられるからだ。高校野球の得がたさはその一回性‥負けたらおしまい‥にある。
 
 一方は三連覇を、他方は初優勝を運命づけられた。早稲田実業が優勝したのは運命力の差であって、ほかのなにものでもないだろう。決勝再試合前の斎藤の言葉はそれを如実に語っている。斎藤はその日、人生最高の日になる予感がしたという。
 
 今夏、斎藤はいつもの斎藤ではなかった。では、いつもとどこがどうちがったか。斎藤は熾烈な戦いのなかで自らの勝ちをほぼ完璧にイメージでき、それは言うまでもなく希望的観測などではなく、予感というしかない何かである。
また、今夏の斎藤には試合の疲れを感じない摩訶不思議な何かが宿っていた。ベッカムも使用したという疲労回復カ器(酸素カプセル)などの科学の力も及ばぬ、天の恵みとでもいうほかない何かが。今夏の斎藤はまさに神がかっていた。
 
 昨日の延長引き分け、今日の再試合、双方とも決勝戦の名に十分値するすばらしい試合であった。早稲田実業の斎藤、駒大苫小牧の田中両投手の高校生離れした見事な投球は各紙が絶讃しているので、ここではふれない。
斎藤が再三のピンチで相手チームに得点、あるいは追加点をゆるさなかったのは、女房役の捕手・白川が一度も捕球を後ろにそらさなかったからである。
 
 田中は三連投、斎藤は四連投。ともに肩がパンパンに張って、ふだんのピッチングはのぞむべくもないと思えたし、できるなら一日あけて、再試合は明日と多くの人々が考えたであろう。両君とも将来にわたって思う存分活躍してもらいたい。肩の重篤な故障で投手生命を終わらせてはあまりに惜しまれる。
 
 こんな思いを抱いたのは1998年夏、平成の怪物とメディアが命名した松坂大輔以来のことである。しかしあの時もっとも見応えのあったのは決勝戦ではなく、横浜高校対PL学園の準々決勝と、横浜対明徳義塾との準決勝であった。なかんずく、松坂が250球を投げたPL戦は圧巻、球史に残る名勝負であった。
 
 夏の甲子園・高校野球名勝負は、ゲーム内容がすばらしいということだけにあるのではない。テレビ・ラジオの実況アナウンサー、解説者の名調子と名解説によるところも大きい。
その点、NHKはとっておきのアナウンサーを用意している。福岡放送局所属の小野塚康之、大阪放送局所属の秋山浩志、竹林宏、冨坂和男(敬称略)の四人である。
 
 彼らがほかの局アナに較べ優れているのは、上記に記した名調子だけではない、類い稀な記憶力、そして、投手の投げた球筋が見えるからだ。これはスライダー、これはチェンジアップ、これはフォークボールというふうに。
さらには、白熱したゲームを視聴者に伝える術に長けているからだ。彼らは実に臨場感あふれる実況中継をやる。球場にいなくとも球場にいるかのような気分になる。
 
 解説者については、残念ながら往時の名解説は激減した。元PL監督の中村、慶応義塾から大阪ガスに入り、投手&監督として活躍した藤田の二人の解説はすごかった。「すごい」などと書いて語彙不足と思われても、そうあらわすほか語彙は見当たらない。
 
 攻撃の糸口を微塵も与えぬほどすばらしい投手でも、中村、藤田両氏はその攻略法を解説した。ベンチで各チームのコーチや部長などが秘かに聴いて参考にしたはずだ。
斉藤、田中両君の鋭く曲がり落ちるスライダー攻略法は、バッターボックスぎりぎりに立って、バットを振り回さず、シャープかつコンパクトに右打ち(左打者なら左打ち)を心がけるというような。
 
 あるいは、この投手の変化球はこう対応するのがよいとか、ストレートは球威とキレのある高めを捨てて、ストライクを取りにくる球を狙え。また、この打者にはこういうクセがあるから、内野または外野の守備陣形をこのように変えたほうがよいなど、当意即妙の解説は視聴者をうならせた。
 
 藤田氏ならこんなふうに言ったかもしれない。「スライダーのキレは、斎藤君より田中君のほうがいいですね。カミソリみたいによく切れる。外角の、ストライクからボールになるスライダーを見極めて、甘く入ってくるストレートを狙うのがいいでしょう、田中君を攻略するのは」。
いつの間にか名解説者は去り、最後に残った土佐、佐竹のうち、土佐も去っていった。いま残ったのは佐竹政和氏のみ。名勝負、熱戦には名解説者が不可欠である。
 
 4対3で早稲田実業が勝利し、駒大苫小牧の三連覇は成らなかったが、最後の最後まで息の抜けない緊迫したゲームだった。球児たちは三連覇への重圧も、初優勝へのプレッシャーも克服した。まさに真の強者である。9回表ツーアウト、駒大苫小牧の最後の打者はピッチャー田中。斎藤と田中の最後の対決。それが筋書きのないドラマの大詰だった。
 
 自分が最後のバッターになるかもしれないという思いが田中にあっただろう。だが田中の顔は清々しかった。こんな顔、いままで甲子園で見せたことがあったろうか。来る球は必ずバットに当てる、見逃しの三振だけは絶対イヤだ。そういう気持ちと、思う存分戦ってきたという思いがバッターボックスで交錯していたのかもしれない。外角高めの球を思い切りよく振り抜き、三振した田中の表情はさわやかだった。
 
 四日間四連投を含む7試合で948球投げた斎藤、6試合で約750球投げた田中。2006年夏、甲子園屈指の名勝負はそうして終わった。

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