2003-12-08 Monday
ゆめかうつつか
 
 近ごろよくみる夢がある。どこかは分からないが、夢に出てきた風景のなかに自分がいて、この景色はたしか夢でみたことがあったと思いながら、不自然さも違和感もなくその風景に溶けこんでいる自分に自分じゃない自分を感じて、早く夢からさめなければとあせって目をさますと、そこがまた夢のなかなのである。
 
 その夢は、出る人出る人みな虚勢された雄牛のごとくうつろな目をしていて、身体全体が脱力感そのものといった風情で、意味不明のおしゃべりをしているのだが血色はよく、かれらの背後の風景は薄墨色のもやがかかっている。
かれらのすぐ近くにはのどがカラカラに乾いて水を求める人がいるのに、かれらは紙と鉛筆を渡して、なぜのどが乾いたか分析して報告書を書けと指示している。いちばん目立つオバサンは、真相究明こそが最重要課題だと口角泡飛ばしながら叫ぶ。
 
 かれらの口から頻繁に出るのは、「たとえば」であり、「こういう場合の対処方法は、たとえば、AからCまで数種類あって、Aはこうで、Bは‥」と講釈をたれている。別の人は、「民主主義とは一人一人の考えを尊重するということが前提で、たとえば、のどが乾いた人たちのコンセンサスを得るには、みなさんに平等に水をあたえなければなりません」などと言っている。
 
 議論百出。そのうちのどの乾いた人のなかには死者も出るが、かれらは議論に熱中して死者はそっちのけである。このままではいっこうにラチがあかないと判断した人々は水を求めて移動しようとする。議論に夢中になっている者たちは、「ここが我慢のしどころです、私たちには議会制民主主義と憲法があり、たとえば、憲法がみなさんを守ってくれます」と、去ろうとする人々を引き留める。
 
 市営地下鉄車両内、女子高生ふたりはデカイ顔で優先座席を占領し、傍若無人に騒ぐ。会話の内容は概ね想像がつくと思うが、「キショー。逆ギレ。ウッソー」ほか。駅で乗車してきた高齢者が前に立っても知らん顔。見るに見かねた20代後半とおぼしき男性が、「君たち、ここは優先座席だろ、この人に席を譲りなさい」というと、「キショー、ウザイんだよ、おまえ」と女子高生の逆襲。
 
 ムッとした男はもう一度繰り返す。女子高生はさらに語気荒々しく、「ウザイって言ってるだろ、スケベー!」。カッと頭に血がのぼった男は思わず女子高生ふたりに張手を喰らわせる。
その後男は逮捕され、女子高生は「ザマアみろ」といわんばかりの顔をして去ってゆく。
 
 カイロの目抜き通りの交差点。信号待ちの市民は、歩行者信号が赤なのにすたすたと交差点を横断する。それを見て、欧米人や日本人はいう。この国にはルールはないのか、エジプトも一応はわれわれの国と同じ法治国家ではないのか、アラブ人は、イスラム教徒はルールを守らないのか。
 
 それをきいていた別のイスラム教徒はいう。ルールは国がつくるのではない、私たちは私たちのルールにしたがって生きている。ルールは自分で決める。究極のところ、私自身がルールなのだ。
 
 ルールを守らない女子高生、ルールの遵守をさとそうとして逮捕された男、早く水が欲しいと求める人々に民主主義のルールを説く者。信号を守らないアラブ人、人命尊重はルールにないテロリスト、みな同じ娑婆に生きている。21世紀は今後ますますルールのない時代に向かってゆくのだろうか。行く手を阻む熊笹を両手で分け入って進んで行くがごとく、いつの間にか爪の根もとがささくれて、心も四分五裂してゆくのだろうか。

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