2006-03-21 Tuesday
WBC
 
 こんな昂奮は98年夏の甲子園「横浜対PL戦」以来だった。今回のWBCでは、ロッテの渡辺俊介(韓国との一次&二次リーグ)や巨人の上原浩治(韓国との準決勝)、クローザーの大塚晶則(MLB)の好投、横浜の多村仁の好守備、中日の福留孝介の代打ホームラン(韓国との準決勝)、弱冠21歳のロッテ・西岡剛、ロッテの捕手・里崎智也の活躍、武者のいで立ちを彷彿とさせる日ハムの小笠原道大の勇姿、足の遅いソフトバンクの松中信彦の意外な走塁に目を奪われた。
裏方に徹したヤクルトの宮本慎也はそれでも3打数2安打2打点の数字を残した。そしてまた、イチローの強烈な思い入れに目をみはった。正直、イチローを見直した。
 
 彼らと、名前を挙げていない選手たちのチカラの結集が、王貞治の監督としての名声に花を添え、日本プロ野球の底力を世界の野球界に顕示した。
それにしても、イチローと松坂が異口同音に言っていた、「このチームと別れるさびしさ」という気持ちは日本人固有のものではないだろうか。集まり散じて人は変われどという美学。日本でペナントレースを戦う選手は球友が待っている。しかし、イチローと大塚は‥とりわけ年長の大塚はさみしかろう。
 
 もうだめかと思ったとき、日本は不死鳥のごとくよみがえった。それは、米国に負け、占領の苦汁をなめた太平洋戦争後の日本を象徴していた。
二次リーグで韓国戦に敗れた瞬間、日本の決勝リーグへの可能性はついえ去ったかと思われた。そこにあのメキシコの勝利(米国戦)である。薄氷を踏む思いなどというものではなかった、氷が割れて日本は冷たい水の中に落っこちていたのだ。メキシコさま、神さまというほかない。
 
 野球はおもしろい。野球をみていると、最後の最後まであきらめてはいけないと思う。98年夏の甲子園、横浜とPLの熾烈をきわめた試合を思い出す。松坂大輔の野球人生の原点はあの試合にあると私はいまも思っている。
延長17回、250球を投げた松坂、その松坂を徹底的に苦しめたPLの驚異の粘り。苦しんだからこそ、乗りこえたからこそ、現在の松坂は存在すると思っている。
 
 決勝戦のキューバの粘り。一時は5対6の1点差まで詰め寄った。勝負が終わるまで、ゲタを履くまであきらめてはいけない。PLとキューバの不撓不屈はそのことを如実に示している。そしてそれは、どんな名言より説得力を持つだろう。
 
 昨今、世界の野球界でもっとも名が知られている日本人はイチローである。が、キューバでは松坂であることに疑いの余地はない。2004年8月アテネ、キューバ戦での松坂の怪投はキューバ球界に途轍もないインパクトを与えたようである。(この項の2004年8月18日「そして怪物は戻ってきた」をご参照ください)
 
 1回から快投を続けていたが、4回、キューバの打者の鋭い打球が松坂の右腕を直撃し、ほんの少しの中断後、涼しい顔でふたたびマウンドに上がり、あの強力打線を9回途中までほぼ完璧に押さえ込んだ彼ははキューバ球界のヒーローなのだ。
敵ながらあっぱれと彼らは評価する、それがすばらしい。そのキューバと決勝戦を戦えたことは日本の誇りである。
 
 今回のWBCは野球ファンのみならず多くの人々に感動をもたらしたように思う。試合終了後、キューバ・ベレス監督の記者会見でのコメントが印象的だった。ベレス監督は日本の勝利、松坂の気迫に満ちたピッチングを讃え、さらにこういっている。
「お金のためでなく、自由のために戦うことはすばらしい。私たちはそれを誇りに思う」。

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