2006-02-24 Friday
銀盤の女王
 
 10代は神に愛でられる者が勝利し、20代は人に愛でられる者が勝利する。30代以上で勝利するには神と人に愛でられねばならないだろう。オリンピックは強い者が優勝するとはかぎらない、優勝した者が強いのである。
 
 プッチーニ最後のオペラ「トゥーランドット」が名曲「だれも寝てはならぬ」に変わってからの2分15秒、それはもはやフィギュアスケートではなかった、荒川静香が氷上にいたのは疑いのないところだが、たえなる音楽にのって荒川が舞っていたのはむしろ天上かもしれない。
そこは荒川静香安息の地であり、彼女の魂がすべてから解放され、無上の喜びを表現できたからこそ私たちの魂を震撼せしめたのだ。それなくしてだれが真の感動をもたらしえようか。
 
 そういう感動と安寧にみたされる演技をしたのは、アイスダンスのジェーン・トービル(英)、女子シングルのカタリナ・ビット(独)しかいない。トービルはボレロ、ビットはカルメンだった。いま思い出しても胸が熱くなる。
ピットはオリンピック連覇を果たしているが、記録より大切なのは記憶ではないだろうか。記録をつくるのは技であり、記憶は魂がつくるのであってみれば、私にはその二人に酔わされたというたしかな記憶がある。
 
 新採点法導入後、女子フィギュアの勢力図は変わろうとしていた。ジャンプ、スピン、ステップ、スパイラルの四要素それぞれの難易度の照準をすべて最高位レベル4に合わせなければならなかった。それらの要素では、すでにレベル4に達しているイリーナ・スルツカヤが有利だった。
2005年、荒川のほんとうの戦いがはじまった。果敢に挑戦できたのはおそらく、荒川自身の強靱な精神力と身近な人々の強い支えがあってのことと思われる。
 
 「だれも寝てはならぬ」は名曲である。名曲を選択したかぎりは音楽に負けぬ表現力が要る。たとえ一瞬でも、すべてを投げ出して心身をゆだねてもよいと思わせるような表現力。荒川はジャンプ、スピン、ステップ、表現力のすべてで他を圧倒した。
 
 ジャンプの高さと速さ、着地の精確さと安定感、演技の華麗さで荒川を凌いでいたはずのイリーナ・スルツカヤが信じられないほど緊張していた。演技直前、あんなに顔のこわばったスルツカヤを見るのははじめてである。
 
 だれよりもスケートが人生そのものだったスルツカヤに何があったのかはわからない。最大の敵はショートプログラム1位のサーシャ・コーエンではなく荒川であることを本能的に見ぬいていたのだろうか、天才は天才を知るがゆえに。女王スルツカヤをしても乗りこえられなかった強烈なプレッシャーの正体は荒川であったのか。
 
 スルツカヤの演技には、いつものような弾ける喜びはなかった。こころなしか流麗さも欠けていた。荒川にみられた観客との一体感がスルツカヤにはなかった。荒川との差はそこにあってほかにはない。そしてその差が勝敗を分けた。
 
 2位のサーシャ・コーエンよりスルツカヤのほうが上であったと感じたが、審査結果は逆だった。魂を解き放つ喜びに満たされた荒川静香と不運のイリーナ・スルツカヤ。トリノ五輪女子フィギュアの女王となったのは荒川静香である。
だが、記憶にとどまるのは荒川だけではない、スルツカヤのこぼれるような笑顔と、あでやかで優美な姿もまた記憶にとどまるだろう。

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