2006-02-20 Monday
カーリング
 
 CurlingのCurlは曲がる、カーブするというような意味である。ソルトレークシティ冬季五輪時はほとんど関心がなく、選手の名前も出身地も知らなかった。今回、カナダ戦の健闘ぶりをみて、テレビにクギづけとなり、小野寺歩(あゆみ)選手の出身地を調べたら北海道常呂町で、林弓枝選手、本橋麻里選手も同じ常呂(ところ)の出身だった。
 
 紋別市から国道238号線を南東、すなわち網走方向に向うと進行方向左手にサロマ湖を望み、サロマ湖の東端を通過したところ、サロマ湖と能取湖の間に位置するのが常呂町である。1999年6月、英国の北ウエールズの海岸線をレンタカーで走ったとき常呂を思い出した。都会に見られるような活気はないが、落ち着いたいい町である。
 
 カーリングがこれほどおもしろく奥深い競技であるとは知らなかった。一言でそのおもしろさ、奥深さを述べるのは難しい。技術や集中力、読みといった要素が選手に要求されるのはほかのスポーツと同じ。ゲームは野球より一回長い10回の裏表の攻防である。
ハウス(大中小の円のこと)の中にストーンを何個集めても、円の中心にもっとも近いところに敵のストーンが入れば味方は無得点。つまるところ、先攻より後攻のほうが有利ということである。得点した(得点の多い)チームが次の回は先攻となる。先攻は不利であるが、畢竟、集中力の途切れないチームが勝利する。
 
 ルールの説明はたやすいが、すべての競技はじっさいに見ないとわかりにくく、おもしろくない。ルールブックなど読まずとも、二、三度観戦すれば、見方やルールの概容は把握できる。
 
 小野寺と林はまだ27歳。というと、もう27歳かという人もいるだろう、が、カーリングは30歳すぎても現役続行の可能なスポーツである。目黒は21歳、本橋は弱冠19歳である。特に、スキップ(カーリングの主将)小野寺のスーパーショットはとうてい言葉でいいあらわすことはできない。すごい、と当世風にいうしかない。ほんとうは神がかりといいたいところである。
 
 一投で敵のストーン2個をハウス外に除去するのをダブル・テイクアウトというが、小野寺は狙いすましたようにそれを決める。見ていると鳥肌が立つ。林のヒット・アンド・ステイも見事だ。ハイス内にある敵のストーンに自分のストーンを当てて、ハウス外に追いやり、自分のストーンをハウス内に残す。ストーンは円内にピタリと止まる。
 
 持ち時間はそれぞれ75分(2度の作戦タイムを含む)、2時間半の攻防はスリリング。日本は強豪カナダに勝ち、予選1位(2月20現在)のスウェーデンに延長戦で惜敗、イギリスにコールド勝ち、イタリアには土壇場で勝利。デンマークとロシアに負けたのは小野寺不調ゆえである。
 
 カナダ戦、イギリス戦での小野寺のショットを見たら、カーリングに興味のない人をも魅了せずにはおかないだろう。スウェーデン戦も緊迫感のある好ゲームだった。
 
 カーリングは競技当日の氷面の速さと癖を読み、選手一人々々の好調をうまく保ち、読みと勘を研ぎ澄まし、さらに、土壇場でのプレッシャーに克ったほうがゲームを制する。すでに4敗している日本が準決勝に進む可能性はきわめて低い。
だが、カーリングがこんなにもおもしろいスポーツであることを同胞のみならず、諸外国のオリンピック・ファンに知らしめたのは、小野寺、林たちの功績である。
 
 常呂町で仕事の見つからなかった小野寺と林は4年前、新設されたカーリング場のある青森市の招聘で同市文化スポーツ振興公社の職員となり、トリノ五輪出場を目ざす。最初の1年は小野寺・林の二名であった。カーリングは四人でないとできない。本橋をさそったら、本橋は先輩についてきた。
 
 仲間が互いに支え合ったようすは想像に難くないし、周囲の支援もあったろうが、強靱な精神力、不屈の魂を育て上げたのは彼女たち自身ではないだろうか。そして、郷里・常呂町の人々への思いが彼女たちを支えていたのではなかったろうか。常呂の人々の屈託のない顔を思い出すたびに、くじけそうになる気持が癒され、明日への励みとしたのではなかったろうか。
 
 小野寺歩155センチ、林弓枝153センチ。山椒は小粒でピリリと辛い。カーリングが脚光を浴び、常呂町のトコロという名が広く知られることを喜ばしいと思っております。

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