2005-09-11 Sunday
水たまり
 
 半世紀前からみれば、雨が降ったときにできる水たまりがすくなくなった。道の大部分が舗装されたからであるが、そのために使われた国税・地方税は膨大である。そういった意味では、水たまりをなくしたのは国会議員と地方議員といってもよい。
 
 私の少年時代、雨が降ると必ず長靴を履いた。運動靴だと、靴のなかに水が入ってくるほど水たまりが多かった。長靴だと水たまりに平気で入っていける。女子はともかく、男子の多くは、長靴を履いて水たまりに入るのは雨の日の遊びといってもよかった。
浅いと思って入ったら思いのほか深く、長靴に水が入ってきて、その水が、足の裏あたりでチャプチャプしたことも数知れない。しかし、雨が上がって、雲間からお日さまが顔をのぞかせると、水たまりは急激に姿を消していった。
 
 雨が降れば水たまりのできることが当たり前だったころ、水たまりに文句をいう人は多くはなかったはずで、日常の風景の一つとして受け容れられていた。地道は地道としての役割もあったし、存在感もあったように思う。
 
 道が舗装されてから、それまでにはなかった補修費がかかるようになった。補修費は国道なら国税、県道や市道なら地方税でまかなわれる。多くの舗装道は、補修費を使うために、つまりは税金を無駄づかいするためにつくられたのではないかというような道路があちこちに見られた。
つくるために税金を使い、補修のためにまた使う。各都道府県の舗装道はまたたく間に増えた。
 
 国も地方行政も、行政を担当する官僚や役人は、「よらしむべし、しらしむべからず」という考えを基調に行政を長年つづけてきたが、これを真っ向から打ち破る政治家が登場した。だれもができないと高をくくっていた行財政改革に、派閥の力をたのまず、古い政治手法である力の均衡も無視し、考えを同じくする者と国民の支持だけを頼りに果敢に挑戦した小泉純一郎である。
 
 自民党の幹部の多くは当初から選挙目的で、つまりは選挙に勝つために小泉人気を利用した。そして、前回までの選挙ではそれが功を奏した。しかし今回の第44回総選挙は、従来の選挙とはまったく違っていた。こんなに争点がはっきりして分かりやすい選挙は初めてである。
 
 マスコミの認識は常に国民から数歩おくれている。彼らがまさかと思うことはすでに多くの国民にとっては自明の理で、千両役者小泉純一郎に共鳴したから小泉自民党に多くの票を投じたのだ。選挙のための小泉さんではない、国民の代表者・小泉さんなのである。新聞もテレビも、国民の感性と認識力を知るべきであるのに、相も変わらず古い考えに固執していたのである。
 
 水たまりは時代とともに少なくなった。それにつれて、水たまりの存在を軽視する政治家や役人が激増した。あるいは、水たまりが起こす風を感じない政治家や役人が急増した。今回の選挙の結果は、風の動きを察知し、素早く行動にうつし、自らも風を起こした小泉さんの圧勝である。
 
 水たまりの水は、じっととどまっているわけではない、蒸発して風になるのである。

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