2005-08-08 Monday
続・小泉純一郎
 
 小泉改革の大きな目玉「郵政民営化」が参院で否決され、小泉さんの改革が暗礁に乗り上げた。
自民党議員のなかには、参院で法案が否決されたからといって衆院を解散するのはおかしな話だという人もいるが、それこそがおかしな話である。小泉さんは以前から、郵政改革を行財政改革の本丸と公言し、郵政民営化六法案の否決は首相不信任であると繰り返しいってきた。
 
 総辞職ではなく解散総選挙を小泉さんが選択したのは、国民に急遽信を問うという姿勢の反映であり、それは、郵政民営化に国民の過半数が賛成の意向を示しているという裏付けあっての選択である。かつて国会の内外で幾度か行財政改革が叫ばれ、委員会を設置し、論議が重ねられた経緯はあっても、国会に提出される前にボツとなった。自民党内にいる、各省庁の省益を優先させる族議員が改革を阻んだからである。
 
 小泉さんが郵政改革をなんとしてでも遂行したかった理由は明らかすぎるほど明らかで、この改革ができないようなら、ほかの改革もできない、つまりは、道路、農林、教育、年金、医療、社会保障、地方ほかの行財政改革も不可能であるということなのだ。郵政民営化はこれからの日本に必要不可欠な改革のとっかかり、第一歩にすぎないのである。しかし、それさえ叶わないならば‥。千里の道は遙か彼方に遠のく。(「千里の道も一歩から」である)
 
 小泉さんが「省益より国益を」といっていたのは、各省庁の官僚が定年後楽々天下りして、天下り先の特殊法人で毎年大きな赤字を出し、税金をドブに捨てるような悪しき慣習を取っ払いたいからゆえの言である。そしてまた、国益とは「国の利益」にあらず、「国民の利益」の意である。道路公団をはじめとする特殊法人は、毎年湯水のごとく税金を無駄づかいしている。
 
 旧郵政省関連も回収不能な事業に莫大なカネをそそぎ、赤字の上にまた赤字を重ねつづけており、それらのカネ=予算はすべて、私たちの預貯金と保険金、税金。もし家庭内でこうした無駄づかいを主婦とか子供がおこなったら、家計はたちまち破綻、借金の上に借金がたまり、ついには一家離散か、もっと悲惨な目にあうであろうことは容易に想像がつく。
ところが、政府は国債を、地方自治体(都道府県や市町村)は地方債を発行して、足りない家計をおぎなっている。国債も地方債も、私たちの預貯金や生命保険金がいったん郵便局や銀行、証券会社などを経由して国債や地方債が買われ、国や地方の財源となっている。
 
 国、そして地方の多くが抱える借金は、利息の返済のためにまた借金をするほど膨大になっており、このままでは収拾不能。だから、それゆえに小泉さんの行財政改革が必要なのである。
小泉さんは21世紀を見据えている。しかし、小泉さんのめざした改革に反対している抵抗勢力(主に亀井派に属する議員)、国家公務員の目には21世紀が見えていない。すでに高度成長は止まり、田中角栄〜経世会流の古ぼけた金権政治も、自民党の従来型政治手法‥国民をないがしろにし、自分たちの既得権益を守る‥も通用しなくなっている。自民党はあまりにも長いあいだ党内の融和を最優先させ、国民の思惑を軽視しすぎた。
 
 自民党内派閥争いの時代や、コップの中の嵐云々の時代は終焉し、民意を尊重する時代を迎えていることが明らかであるにもかかわらず、何十年にもわたって古い政治に慣れ親しんできた人々にはそれが見えないのであろうか。
自民党抵抗勢力と野党は、小泉さんを強権的とか独裁者という。自分の主張や手法と異なればそう見えるのであろう。ところが、小泉さんの視野に入っているのは民意であり、小泉さんが国民の強い支持を受ける理由もそこにあって、ほかにはない。小泉流が独裁ではなく、リーダーシップであることを、そして、国民は真のリーダーシップを求めていることを知るべきである。
 
 衆院での造反、参院での否決は、小泉流に対する意趣返しであるとか、怨念の発露であるとかを云う風潮のあることは私も承知している。表舞台で演じられることと、裏舞台で画策されることとでは、おのずと差異のあるのは政界の常であってみれば、それを喧伝するだけで得たりかしことなるのは、小泉改革の本質から目をそらすことであるだろう。楽屋話を云々するのは三文テレビ、三流週刊誌に任せておけばよい。焦眉の急は、党本位、省庁本位から国民本位への転換なのだから。
 
 英国、フランスに較べて百年はおくれている政治と行政を、ヨーロッパ先進国なみの、国民本位のそれに持ってゆくのに、さて、あと何年かかるのだろう、小泉改革が挫折したいまとなっては。族議員と省庁の厚い壁は、百年かけて破らねばならないのか。
彼らの動きと対応は、民間にくらべてあまりにもおそくて鈍い。官も民も、同じ人間のすることゆえ、民営化されても変わりばえしないのでは‥と考える方も多かろう。が、民営化すれば、税金を使う側から支払う側になり、いままでのように採算の合わない事業に税金を投入し、途轍もない赤字を出しながら誰も責任を取らないといった状況は回避できる。必要のない予算のたらい回しも断てるであろう。
 
 郵便局がないと困る過疎地の特定郵便局を残すべきことはむろん、いうまでもない。そういうところにこそ税金を投入すべきなのである。そして郵政民営化を契機に、すべての省庁と特殊法人が、仕事をするフリをしていればよかった官から、仕事をしなければならない民に変わること、それが民営化のもっとも大きな収穫なのかもしれない。
それにしても、市民革命のなかったこの国が、未来を見据えて、一滴の血も流すことなく改革の歩をすすめるとなれば‥。
 
 今般の参院での郵政法案否決によって明らかになったことがある。郵政改革が私たちに必要か必要でないか、また、小泉さんのいう行財政改革などの構造改革を将来的に遂行すべきかすべきでないか、国民にその信を問う選挙であることがはっきりした。改革推進派と抵抗勢力との戦い、小泉さんはそのように断言した。それで選挙戦の争点もはっきりした。
 
 千両役者は花と実の両方をそなえていなければならない。そして真の千両役者は、舞台がどういう状況になっても、たとえ大入り満員にならなくても、決して芝居を投げることはない。客の入りがわるくても、ひたすら自分の培ってきた芸を見せてこその千両役者である。苦境に立ってはじめて千両役者の真価が問われる。すくなくとも私はそう思っている。
 
 私はいま、千両役者・小泉純一郎に心からの声援をおくりたい気持でいっぱいである。

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