2005-05-28 Saturday
馬脚をあらわす
 
 口では友好、友好と言っていても、心のなかは口とは裏腹、友好を保ちたいというのは実は場当たりで、日本が安保理常任理事国入りするのを阻止しようとする中国の意図があからさまになってきた。小泉首相との会談を取り消すことの非礼より、自国の政治的意図を優先させ、日本政府がどう対応するかを見たいという底意もあって、いかにも中国政府のやりそうなことである。
 
 それにしてもアジアでかくのごとき中央集権国家は北朝鮮と中国以外に見当らない。呉儀副首相の突然の会談取り消しは中国政府の指示以外のなにものでもない。自国の歴史問題には甘く、日本の歴史問題には厳しく、国際世論を寒からしめた天安門事件(1989年6月4日)の誤りにはほおかむりするのが中国流。
 
 中国政府が靖国問題を繰り返し持ち出すのにはうんざりだが、自民党幹事長から内政干渉と指摘されて憤慨する中国政府要人の魂胆は、ありていにいえば難癖をつけて、60年以上前に多くの辛酸を舐めたアジア諸国の同意をうながし、日本の安保理常任理事国入り反対の支持を取りつけたいからである。
 
 太平洋戦争で戦死したり、空襲で亡くなった方たちの霊をお祀りする靖国神社に手を合わせる、あるいは、鎮魂の祈りを捧げるのは戦争の惨禍を経験した者だけでなく、惨禍を免れた者にとってもごく自然な行為と思われる。日本国民をいわば代表する立場にある小泉首相がお詣りするのはなんら非難されるべきことではない。
 
 広島、長崎に原爆投下命令を下した米国のトルーマン元大統領の墓にお詣りする米国民や米国政府要人に対して、おもてだって、墓詣りはやめろと非難する日本人や日本政府があればお目にかかりたい。戦争があたたかく、人にやさしいのなら反対する人はいない。良識ある人の理性さえ喪失せしむるのが戦争である。
残酷で悲惨な戦争をふたたび繰り返してはならない、その思いを込めて多くの人々は靖国にお詣りするのだ。中国政府の長年に及ぶ歴史問題云々のコメントは明らかに、その筋の人が「因縁をつける」のとなんらかわりなく品性のない行いである。
 
 さて、きょう5月28日、学習院大学で講演したアーミテージ前国務副長官が以下のようなことを述べた模様。
 
 『長年、中国が日本の「戦争における過ち」を取り上げると、日本政府は「政府開発援助(ODN)をもっと出しましょう、申し訳ない」とあやまってきた。「今回、中国は同じシナリオを使おうとしたが、日本は「もう何度もおわびはした。今は新しい時代で、前に進まねばならない」と頭を下げず、中国側は「従来とは異なった反応が出てきた」と混乱している』と分析。
日本政府の今回の毅然とした対応が、中国政府の動揺をさそったという見方を示した。

前頁 目次 次頁