2005-04-10 Sunday
反日デモ
 
 デモのためのデモとはかくのごとし。投石した、あるいは、日本車を足蹴にした粗野な若者や子供は、自分がなにに抗議しているのかすら理解できていないだろう。煽動する者される者、かつて紅衛兵がそうであったように、彼らは単なる無知蒙昧な粗暴の徒である。そして、たやすく煽動される者はみな同じ顔をしている。
 
 これが逆の立場なら中国政府はどうコメントしていただろう。それはもうコメントといった生やさしいものではなく、中国に対する戦闘行為だ、と叫んでいたかもしれない。彼らの多くは、日頃の不満やストレスのはけ口を求めて町に繰り出した。そんな若者はどこにでもいる。どこにでもいないのは、ただで窓ガラスを割るなどの破壊行為をおこなう虫のよさである。
 
 窓ガラス一枚何元、車のへこみ一箇所何元と請求されるか、もしくは、器物破損罪で警察に逮捕・拘留されることが自明の理なら、粗暴な者もひるんでいたと思われる。暴力行為は相応の対価を支払わねばならないのだが、それを覚悟の上で暴力をふるっているわけのものではない。
 
 味噌と糞は紙一重である。ふだんは普通の市民、それが突如暴徒化する。そういう状況が今世紀は一般化しつつある。これが実に始末がわるい。君たち、はけ口ならほかに求めなさい、いくらでもあるとはいわないが、探せば見つかる。探さないのは君たちの怠慢である。
君たちが日中間に横たわるさまざまな問題に口をはさむのは早すぎる。口をはさめないから暴力にうったえるというならなおさらよくない。何も見えないうちに粗暴な行動に走るのはまちがっていると考えないのか。
 
 そればかりではない、政府が報道を規制し、政府側に都合のわるいことは隠蔽する、または事実を曲げて報道する。中国政府は歴史認識と一口でいうが、歴史認識などというものは百人百様、無理矢理一つに統一しようと考えること自体がどうかしている。だが、社会主義国は多様な価値観さえ認めない。それゆえ、中国は先進国にくらべて百年おくれていると多くのオーバーシーズ・チャイニーズから指摘されるのだ。
 
 日中間には日清戦争後の下関条約(1895)以来、対華21ヵ条の要求(1915)や満州事変など、中国は日本政府(軍閥)から煮え湯を飲まされた歴史的経緯があり、それを教育の場で子供たちにたたき込んでいる、だから戦後60年たった現在も反日感情はきわめて強い。
反日感情は日本の安保理・常任理事国入り阻止を志向する。日本の常任理事国入り阻止のプロパガンダとして中国政府が反日デモを利用したとみなすのは穿(うが)った見方であろうか。
 
 中国政府が反日教育を続行するのは明確な理由があってのことだ。13億の人口をかかえている中国は年々貧富の差がはげしくなっている。1300人でも貧富の差は歴然として存在する、ましてや13億人である、8割の人々は自分が貧しいと認識しているだろう。
貧しさははけ口をもとめる傾向が強く、それがまともに政府に向かってくればたまったものではないと政府要人は考える。そこで、庶民の不満を集約せねばならず、そのもっとも安上がりな方法が反日教育なのである。
 
 反日感情を彼らの頭に植えつけて、日本を標的にしておけば、中国政府に対する不満の鉾先はかわせる。安易な方法というほかないのだが、安易なるがゆえに人は乗せられる。
むろん、過去の歴史として冷静に受けとめたり、割りきったりする者もいて、彼らは最初から反日デモには参加しない。うさ晴らしに乱暴狼藉をはたらくのは下々の下と判断できるからだ。
 
 中国政府はことあるごとに友好を口にする。しかし、13億の人口をかかえて、友好の影に存在する過去の歴史をどう濾過し、そしてまた、反日教育路線を変更する予定はあるのだろうか。それができなければ、こういう事件は今後も繰り返されラチがあかない。13億人すべてが経済的に豊かになれるわけがない、いいかげんに反日教育をゆるめればよいようにも思うのだが。
 
 上記の問題は日中政府間の話し合いだけで解決できる問題ではないだろう、歴史教育に口を出すのは内政干渉とみなされる。その点私たちは、近隣諸国のいらざる口出しに抗議したりはしない。国民の多くは、些事に抗議するのは友好的でないことを知っているからである。
 
 中国にせよ韓国にせよ、そういう点で大人の国家とはいえない。すくなくとも成熟した国家とはいいがたい。友好は両国の要(かなめ)である、19世紀から20世紀、日中韓はそれぞれ多くの辛酸を舐めたのだ、今世紀はもそっと成熟した国、社会を目ざしてほしいものである。

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