2003-11-02 Sunday
無党派
 
 マスコミ用語のひとつで、何の意味もない代表格が「無党派」であると私は思っている。
支持政党のない人の多くは、自分が無党派と呼ばれるのを喜んでいるだろうか。おそらくそうではあるまい、彼らの多くは投票に行かない無投票派であるからだ。
 
 政治に関心がない、政治家に興味がない、税金の使い道に関心がない、これがいわゆる無投票派の正体だと私は思っている。政治に関心がないわけではない、あきらめているだけだという者もいるが、あきらめるほど長く生きてきたのだろうか、あきらめるほど苛酷な人生を過ごしてきたのだろうか。あきらめたというのは30年早かろう、君たちは若くして早々にタカをくくりすぎる。
 
 政治家はみな同じと考えているのも無党派の特徴であるが、政治家は人によって異なる。それは君たちの顔と個性、君たちの上司や同僚の考えと行動のパターンがそれぞれ異なるのと同じである。投票に行っても行かなくても政治は変化することはない、この国は変わらない、そう考えるのは勝手だが、投票に行くのが面倒だから行かないのは君たちの怠慢以外の何ものでもない。
 
 入院するほどの大病を患っているわけでもなく、拉致されたわけでもない、投票日当日に行けないというなら不在者投票もある、行く気があればどうにかなろう。行かないのは行く気のない者の怠慢を隠蔽するエクスキューズにすぎない。
 
 無投票派の怠慢はそっくりそのまま政治家の怠慢となって反映する。人は人の感化を受けやすく、水は低きに流れやすい。偉そうなことを言えた義理か、君も私も同類ではないか、そういって身も蓋もなくなるのが人の世の常であってみれば、怠慢無党派が怠慢政治家を生み、腐敗政治の温床となるのである。
 
 鏡を見れば自分のすがたが映るように、政治にも自分のすがたが映る。
それを知らずして政治家はみな同じと語ることなかれ。君たちが投票して政治がまったく変わらないなら、政治はだれがやっても同じというべし、まずは投票に行くべし、投票率は限りなく80%に近づくべし。投票にも行かないで、だれがやっても同じとは笑止千万。
 
 無党派、無投票派の大半が投票すれば、この国は間違いなく変わる。税金の無駄づかいも激減するだろう。そうなることが自明の理であるにもかかわらず投票に行かないのはなぜか。
それはおそらく、政治と自分の生活が関係ないと思っているからであろう、税金の使途に無関心だからであろう。年金をかけるのがバカバカしいと考えているからであろう。
 
 所得税を払っていない人でも消費税は支払っている。所得税や消費税を払わなくてすんだなら、高級レストランでおいしいものを食べられたのに、ブランド品が買えたのに、そう思えば税金に関心を持てるかもしれない。
所得税、消費税がもっと安ければ、貯金はもっと増えていたのに‥つくらなくてもよい高速道路に税金を投入するより環境保全に投入するほうがよかったのに‥そう思うことが納税意識を生じさせ、選挙への関心を生む。
 
 風が吹けば桶屋は儲かる。納税意識の高揚が無党派、無投票派の投票意識を高めるのかもしれない。選挙権のない園児だって消費税は払っているのです。

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