2005-01-29 Saturday
白クマ・ピース
 
 人間は人間にまさることはなく、私たちは人間以上でも以下でもない、畢竟、万物の霊長といわれる人類こそがすべての生き物のなかで最上位の位置を占めるという認識は、正しくもあり正しくもないように思える。私たちは万物の霊長‥万物のなかでもっとも霊妙ですぐれたもの‥とほんとうにいえるのだろうか。
 
 たしかに知能はほかの動物にくらべて発達しているだろう、学習修得能力もサルよりはありそうである。モノづくりについても、素質と努力次第で高い技術力をそなえることも可能である。動物園に行って、オリに入れられている動物を見たことはあるが、オリにはいっている人間は見たことがない。オリに入れたほうがよいと思う人間はいるけれど。
 
 白クマのピースは愛媛県伊予郡の砥部(とべ)動物園にいるホッキョクグマで、昨年12月5歳になった。動物園は伊予市の東南に位置する。日本ではじめてホッキョクグマの人工飼育に成功した。飼育したのは、砥部動物園の飼育係・高市敦広さんである。
昨日、2月28日午後11時からのNHK「にんげんドキュメント」で紹介された。現体重300kgのピースであるが、生まれたときは680gしかなかったという。
 
 ピースを生んだ母クマは、どういうわけかピースのことにまったく無関心で、母乳をあたえるどころかピースに近寄ろうともしなかった。これでは子育てなど不可能。仕方なく高市さんが母親代わりになって、高市さんの家族ともどもピースを自宅にひきとって育てた。
映像でみるかぎり、幼い白クマはまるで動くヌイグルミ。高市さんのお子さん(長女・当時小学生)の腕枕で眠るピース、高市さんのあとをトコトコついていくピース、甘えるような仕草をみせるピース、その可愛さは人間の子とおなじである。
 
 110日間、手塩にかけて育てたピースが動物園に帰る日がやって来た。オリに入れられたピースの目を見ると、しきりに何かを訴えている。どうして自分はこんなところにいるの、なぜ高市さんは格子の外にいるの、早くオウチに帰ろうよ。
 
 翌日もその翌日も、またその翌日もピースは泣いていた。それでも高市さんの顔を見ると安心するのか、甘えるような、あるいは訴えるような目を向けた。そのうちオウチにもどれるよネ、そんな目だった。高市さんと目と目で会話を交わしていた、すくなくとも私にはそうみえた、ほかにどうみえるというのか。
 
 それから5年、いろんなことがあった。映像には映っていなかったが、ありすぎるほどあったと思う。ホッキョクグマの寿命は30年という。ホッキョクグマは地上最大の肉食獣で、しかも私の知るかぎりきわめてどう猛、アザラシを好んで食し、ときには自分より大きいシャチにも向かっていく。たいていの猛獣など、ホッキョクグマの手斧の一振りで気絶してしまうのではなかろうか。
 
 110日間を高市さんの家族と暮らしたピースは私のホッキョクグマに対するイメージを一変させた。わずか110日であんなにも人間のように、いや、おそらくは人間以上に感情がゆたかになるものなのか。人間の子なら、あんな短期間であれほどまでに情感ゆたかになるだろうか。家族と別れて5年もたって、あれほどの愛惜の情を持ちつづけていられるだろうか。
 
 いまもなおピースは高市さんがオリの前に立つと、サーッと来て、ほかの客などだれもいないというふうに高市さんをじっと見つめる。そしてその目は、いつまでこの中にいればいいの、早くオウチに帰りたいよ、お願いだから早くここから出してください、と訴えているのである。

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