2004-12-29 Wednesday
ゲーテ少年時代の地震
 
 1749年8月28日、フランクフルトで生まれたヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ(1749〜1832)の自伝「わが生涯より=詩と真実」は、こんにちいうところの自伝の原形として文学史上高く評価されている。ゲーテ自身が記しているように、この作品は『大きな告白の断片』であり、すべてが自己告白そのもので、ゲーテ自身が危機をきりぬけた体験を描いている。随所に逼迫した表現が見られるのもむべなるかなである。
 
 ただ、1755年11月1日リスボン大地震は直に体験したものではない。ゲーテは次のように記す。『私が6歳のとき、リスボンの地震のあとで神の慈悲が疑わしいものになった。』
 
 さらに次のように記している。
 
 『すでに平和に慣れきっていた世界に大きな恐怖を拡げた。南都であり同時に港町である華麗な大首府が、突然最も恐るべき災厄に襲われたのである。大地は震え揺らぎ、海は湧きたち、船は互いに打ち合い、家々は崩れ落ち、数々の寺塔はその上に重なり倒れた。王宮の一部は海に呑まれ、裂けた大地は焔を吐くかに見えた。それは、廃墟のいたるところに煙と火焔とが現れたからである。
 
 一瞬前にはなお平和に楽しく生きていた6万の人々がいっせいに滅亡していった。この災禍を知覚する感覚も意識ももはや失ってしまった人こそ最も幸福な人ということができる。火焔は狂いつづけ、それとともにこれまで隠れていた、ないしはこの変事によって解放された罪人の一群が暴れ回った。生き残った不幸な人々は、掠奪、殺戮、あらゆる暴行虐待にさらされた。
 
 そしてこの突発した災厄の広汎にわたる影響について、あらゆる方面からいよいよ多くのいよいよ詳密な報告が到着するにつけて、他人の不幸によって揺り動かされた人心は、自分自身や自分の家族の者に対する憂慮のためにいっそう悩まされた。まことに、恐怖の悪霊がかくも速やかに、かくも激しくその戦慄を地上に拡げたことは、おそらくかつてないことであった。』

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