2004-11-04 Thursday
金銭感覚、または税金
 
 地震や台風で大きな被害が出るたびに思うことがある。私たちが支払ってきた、あるいは、いまなお支払いつづけている税金は生かされているのだろうか。生かされていると思うのはほんのわずか、自衛隊や消防隊の惜しみないはたらきによって危機に瀕した人々が救出された瞬間である。
 
 災害現場で骨惜しみせず人智、人力のかぎりを尽くして人命救助にあたっている彼らをテレビの映像、新聞の記事で知るごとに感動し、すがすがしい思いになる。むろん、救援する側は自分たちの収入が税金でまかなわれているなどということは念頭にない、ただただ眼前の窮地に陥っている人を救いたいとの思いでいっぱいである。それはそれで充分なのだ。
 
 災害で家を失った人々には災害見舞金や義援金が拠出される。または低利で融資が出る。だが、はたしてそれで充分といえるだろうか。なに、地震保険といった災害保険が助けてくれるというような意見もあろうが、それらの保険が満度に出る確率は決して高いとはいえまい。それに、保険に加入していない人はどうなるのか。
 
 私たちは毎年、毎月、毎日、税金を払いつづけている。自己所有の家・土地を持っている人は固定資産税と都市計画税、車を所有している人は毎年の自動車税と車検ごとの重量税と自賠責、一定の年収には所得税、預貯金の利子には20%の分離課税、食料品、日用雑貨などのすべてに消費税、はたまた、就寝中の電気代などにも消費税が賦課される。
 
 ことはこれだけではすまない。住民税、(国民)健康保険税もある。住民税はともかく、健康保険税はたいした収入がなくてもバカ高い。税金の種類を数え上げるとバカバカしくなるのでこれくらいにするが、ともかくこの世は税金地獄、私はごく普通の団体役員であった期間、年収の30%ほどを種々の税金で持って行かれた、消費税や預貯金の利子課税は別にしてである。
ありていにいえば、金額にして2千8百万円ほど、中古マンションなら買える金額である。地方の小都市なら土地付き一戸建ても購入可能であろう。
 
 私程度の収入の者でさえそのくらいの税金を支払ってきた、わずか15年の間に。その税金がいったいどこで生かされたかと問えば忸怩たる思いである。仮設住宅どころか、収入のない被災者に公営住宅を10年や15年無料で貸与することくらい朝飯前ではないか。
 
 大阪府の税収(府民から年間)は1兆1500億円であるのに対して、府の人件費は7000億円である。つまり、収入の約70%が給料支払いにあてられる。考えてもみなさい、どこの世界に収入の7割が給料というような企業、事業所がありましょうか。赤字になるのは当たり前である。不足分は地方交付金や地方債でまかなっている。アホくさというよりほかに言葉が見当らない。
 
 金銭感覚云々をいうなら、大雑把にいって四つのタイプに別れる。充分すぎる収入に恵まれ、倹約する必要がないから倹約しない人。倹約する必要がないのに倹約する人。前記二者は幸せである。とりわけ後者は倹約すること自体が愉しみであろう。
次に、倹約せざるをえないから倹約する人。これは毎月が汲々として青息吐息、実につらいものがある。そして、あきらかに倹約する必要があるのに倹約しない人で、その結果どういうことになるかは論より証拠、くどい説明は不要と思われる。
 
 国にしても地方にしても、彼らの金銭感覚は四つのうちの最後のタイプに属すことは明らかであり、税金の無駄使い甚だしく、損をしても、赤字になっても、ふたたび税金や公債などで補填できるから誰の腹も痛まない。
ほんとうは納税者の腹が痛むのに、誰の腹も痛まないと考えているから治すことも考えない。彼らの金銭感覚は完全に麻痺しており、治癒不可。かくして悪循環はつづくのである。 

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