2004-09-30 Thursday
森喜朗の怒り
 
 森前首相が柄にもなく不快感をあらわにした。「内閣改造のふたを開けてみれば森派偏重。だれが五人もくれと言ったのか。私はきわめて不愉快、ありがた迷惑だ」
 
 小泉首相の内閣改造人事がよほど気に入らなかったのか、それとも自民党他派の領袖への配慮なのか、9月30日の森派総会において森喜朗は渋面をつくってみせた。森氏の言い分は、自民党実力者=亀井氏や古賀氏を指すと思われる=の党三役起用と、各派閥の中堅議員の登用で党内融和をはかるべきだということなのだが、小泉首相はこれを無視した。
 
 小泉さんにしてみれば、この忙しいときに党内融和どころではなく、郵政民営化のほうが先決、それに沿った人事をおこなったということである。ところが世論の趨勢は年金、福祉、景気が優先事項。それにしても相変わらず森喜朗的発言ではある。要するにこの人、国民的立場に立った発言は望めそうにない。
 
 森氏は小泉さんから事前に相談されなかったことについてこうも言っている。「イヤならイヤと言えばいい。ダメならダメと言えばいい。考えておくといってそれっきり、何の返事もなかった」
考えておくといったきり何の返事もないのはいかにも小泉さん的ではないか。小泉さんの辞書に党内融和という文字はないのだから。
 
 小泉さんの頭にあるのは税金をドブに捨てるような無駄を省くことであり、その結果、政治を分かりよいものにすることのはずである。税金を湯水のごとく使ってもだれの迷惑になるわけではないといった考えは明らかに間違いなのだが(税金の無駄使いは近い将来、消費税率アップに直結する)、間違いと分かっていても誰のフトコロの痛むわけのものでなく、痛くも痒くもないから問題にされない。問題にされないのは役人の思う壺、毎年でたらめな予算を計上する。
 
 私たちが一万円で買えるものを十五万円で買って知らんふりをする。そんな話はそこら中にころがっている。税金の無駄使いの典型である。国家の役割は国民の生命、財産を守ることにあると私は何度か書いた。現状は守るどころか放置している。放置されたのでは税金を払う意味がない。それを怒らずして何を怒れというのか。
 
 森喜朗の怒りは自民党の各派領袖と幹部にしか評価されない類の怒りである。本気で怒っているとすれば開いた口がふさがらないというほかないのだが、この人は名うての狸オヤジ、自派から閣僚が五人も出たので怒りは他派の批判をかわすためのカモフラージュといえなくもない。

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