2004-08-31 Tuesday
刈屋富士雄
 
 何度聞いても感動があった。アテネ五輪の数ある実況中継のなかで文句なしに金メダルに匹敵する名調子。その声は口からではなく、喉からではなく、まして頭からではなく、ハラから発せられた。あのときの状況、あのときの興奮を考えれば、よくぞあれだけの実況をしてくれたと思う。いや、あの状況と興奮があったからあれだけの名調子が生まれたのだろうか。NHKアナウンサー・刈屋富士雄の大手柄である。
 
 あれは男子体操団体競技で米田から鹿島、そして最後の富田までの鉄棒の実況中継だった。聞く側が興奮して、刈屋富士雄が何をいったかロクにおぼえていない(鹿島を、白鳥の舞い降りるがごとくとか、美しさをなんとかといったように思う)のだが、刈屋富士雄のつばさに乗せられ、胸が熱くなり、一気に急所に届いたのであった。あのときなら相手がだれでも、何でもゆるせたろう。
 
 そして刈屋富士雄の実況中継は、富田のとき最高潮に達した。「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」。心ゆさぶられる場面にハラからしぼり出された名文句。大相撲や高校野球の実況中継とは一味も二味もちがった刈屋富士雄の、天啓というほかない名調子であった。
およそ名調子とか名セリフというのは、だれが口にしても聞く側をうならせるというものではない、いうべき者の魂が、いわれるべき場面に向かって心の叫びをほとばしり出すがゆえに私たちの魂を震撼せしめるのだ。
 
 私くらいの年齢になると、あと何回オリンピックを見ることができるだろうかという観点から見る。だから、そういう観点に立たない人たちとはおのずとオリンピックの見方がちがってくる。ありていにいうと、気迫のこもっていない演技や実況中継は見たくないし、聞きたくないのである。このオリンピックが最後になるかもしれない、そう思って精魂込めてがんばっている選手、彼らがメダルを獲得できようができまいが、心ゆさぶられるのである。
 
 あれは1936年ベルリン五輪の河西省三(NHK)であったか、女子二百メートル平泳ぎの「前畑がんばれ、前畑がんばれ」と実況中継(ラジオ)したのは。河西省三のあの中継は名調子とはやや異なるとは思うが、それでも歴史にのこる名実況である。それはとりもなおさず、あのときの河西アナの魂が、前畑の気迫の泳ぎを目にしてほとばしり出た叫びであったからではないだろうか。
 
 オリンピックはふたたび四年後に開催されるだろう。刈屋富士雄もふたたびあの名調子で実況中継するかもしれない。そして私はあと何回オリンピックを見られるのだろうと思うのである。 

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