2004-08-22 Sunday
優勝旗、北海道へ
 
 すさまじい打撃戦だった、打撃戦というより乱打戦といったほうが実状に合っているほどの。結果は13−10という点の取り合いになったが、高校野球にたびたび見られる大味なゲームではなく、駒大苫小牧、済美の打線が火をふいた好ゲームであった。
そういう印象をあたえることができたのは両チームの守備の堅さである。駒大苫小牧の決勝進出はまことに価値あるもので、好打者のそろった日大三に7ー6で競り勝ち、横浜に6−1、東海大甲府に10−8で打ち勝っての決勝戦だった。
 
 息詰まる接戦を制した駒大苫小牧は春夏通じて北海道勢史上初の優勝である。夏の大会86回目を迎えた今年、だれが北海道代表(南北の別を問わず)が優勝すると予想したろうか、おおかたは日大三戦で敗れると思ったであろうし、よもや次の横浜まで駒大苫小牧に負けるとは予想だにしなかったろう。
 
 北海道代表が夏の甲子園で緒戦から敗退することの多かったのは、長い冬のあいだ満足な練習ができないということもあるが、なんといってもあの猛暑に北海道の高校生が慣れていないということにある。とにかく夏の甲子園は暑い、特に三塁側ベンチは太陽が差し込んで、時間帯によれば蒸し風呂である。
 
 高校野球は技や力だけでなくさまざまな要因に左右される。甲子園には魔物がいるといわれるのも、そうした思いもかけない何かに球児の足を引っ張るからだ。夏涼しく、湿度の低い東北や北海道で予選をたたかってきた球児には甲子園の暑さは強敵である。真の強者は何があっても勝つとはいっても高校生だ、気温や経験不足が彼らを阻むこともある。
 
 そしてまた、個人競技とちがい野球はある種の心的要因がよくもわるくも選手に影響を及ぼす。守りで相手の得点を阻む超美技が出れば、その選手だけでなくチーム全体が活気にあふれ、攻撃にはずみがつく。逆に守りにミスが続出すると、チームの雰囲気がわるくなる。
その点、駒大苫小牧も済美も実に守りのかたいチームだった。守備がよければ、やらいでもの点を相手にあたえることはない。高校野球は守備の些細な乱れが大量点に結びつくのである。
 
 済美のエース・福井は連投の疲れで、変化球を投げるときボールの縫い目に指がかかっていなかった。それが微妙なコントロールに影響し、球筋が定まらなかったのである。などといいっても、それは駒大苫小牧の各投手にもあてはまることで、連日マウンドで熱投した投手はみな疲労がたまっていたのだ。緒戦に較べて球威、コントロールがやや落ちたのは致し方あるまい。
 
 そう考えると、1998年夏の松坂大輔はまさに怪物であった。疲れを知らぬあのスタミナ、疲れても止まることのない球威とキレ。準決勝の明徳戦では肩がパンパンに張っていたから先発は袴塚にゆずった(前日の準々決勝・PL戦で松坂は延長18回・250球を投げた)が、リリーフ後、明徳の強力打線をピシャリと押さえ、京都成章との決勝戦では、ノーヒット・ノーランのおまけまでつけて完投勝利し、横浜の春夏連覇に貢献しただけでなく、金字塔ともいえる偉大な歴史をつくった。
 
 98年の高校野球は例年になくレベルの高い選手がいた。松坂のほかにも和田、新垣、杉内などの投手がプロ野球でめざましい活躍をしている。さて、駒大苫小牧も歴史の一頁をつくった。深紅の優勝旗は白河の関の頭上を飛び越え、海をわたって北海道に届いたのだ。
北海道在住、出身の人たちは大喜びだろう。とりわけ、本州を内地と呼ぶ世代=中高年の高校野球ファンにとっては望外の、いや、値千金の優勝である。次回北海道代表が優勝するとき、この世にいないと思っているかもしれない。

前頁 目次 次頁