2004-07-23 Friday
白骨温泉
 
 あれは昭和61年11月初旬のことだった。老若男女15名が車4台に分乗して中国自動車道・宝塚インターチェンジを出発して一路、霧ヶ峰高原に向かったのは。一泊目は「霧ヶ峰ホテル」、二泊目は飛騨高山の「金亀館」に宿泊した。二日目、霧ヶ峰から松本への道中のハイライトは乗鞍の谷越えで、谷の中腹あたりに白骨温泉があった。
 
 当時(1986年)の白骨は90年代にはじまる温泉ブームの盛況とはほど遠く、湯治宿が数軒まばらに立つ鄙びた温泉地で、宿も露天風呂も鬱蒼とした木々に囲まれ、道路も細く曲がりくねっているので、うっかり見落としてしまいそうな山間部にたたずんでいた。
 
 車列の先頭を走っていた私の車のひとりがいきなり「ここ、どこ?」と訊かなかったら私は素通りするつもりだった。学生時代にこの道を通ったことがあり、シラホネを憶えていたからその旨を伝えると、「木村のオババ」(と私は蔭でよんでいた)は「ここでトイレ休憩しようか」と言った。
オババは私の二回り年長で、時々私のわがままをきいてもらったこともあったし、この辺でトイレ休憩しないと松本近辺まで人里もなく、こういうときくらいオババのわがままを聞いてやろうと承諾した。オババは温泉が、とりわけ露天風呂が大好きで、年のせいもあろうが、行く先々の露天風呂でためらいも見せず野郎どものなかに入ってゆくのである、素っ裸で。
 
 その温泉宿はヘアピン・カーブを曲がって、ふたたび急な上り坂へとつづく猫の額ほどの空間に、いまにも崖下に落ちそうに立っていた。車4台がぎりぎり駐車できるだけの窮屈な場所に車をとめ、両開きのガラスの引き戸を開けると、なかから若い番頭が出てきた。私が一時の休息と露天風呂使用の是非を訊くと、番頭は無愛想にいった。「だれにでも風呂を使わせるわけではありません」。
 
 何が気にくわないのか、あるいは虫の居所でも悪かったのか、それが白骨温泉との出会いだった。そのときはオババが横からしゃしゃり出て、その若い番頭‥実は経営者の息子‥を丸めこんで、サッサと露天風呂をたのしみ、頭から湯気を立てながら、「さあ、出発じゃ!」と意気揚々と車に乗り込んだのだったが。
 
 あれから18年、オババも80になり、「だんじり」で有名な岸和田に隠居し昔日の感深しである。
 
 その白骨温泉で入浴剤騒動が勃発したという。白骨の湯の白濁色は山間の深さ、鄙びた趣を象徴し、それを愛する贔屓もいた。経営者側の弁明は聞かずとも概(おおむ)ね分かるが、立派だと感じたのは、ほかに先駆けて入浴剤使用を認めた人々である。逆に見苦しいと思ったのは、18年前には想像だにしなかった「豪華旅館」の女主人で、そういう時の同一パターンとして、ウソの上にウソを重ねる。
 
 近年のメディアは、あたかもおのれが正義の権化、または正義の味方なりという意気込みで取材する。その姿勢といきおいは時によって怒濤のごとく、だれも防ぎようがないほどのものである。ウソはすぐに見破られる。メディアが見破るのではない、視聴者が見破るのだ。
この世はあまねくニセモノが横行する。ニセ肉、ニセ野菜、ニセ卵、ニセ塩、ニセ薬、ニセ鞄。おかしい、変だと思えば私たちは買わない。ホンモノと較べればニセモノの化けの皮はすぐ剥がれる。
 
 触感、食感、味覚などは区別がつきやすく、湯も広義の触感かもしれないが、温泉の湯が100%天然か、入浴剤を使っているかの識別はかなり困難であろう。それにつけ込んだと思われても仕方あるまい。乗鞍の尾根からそう遠くない鄙びた温泉保養地でさえ現代の流行と無縁ではなかったのか。長野県知事おん自らお出ましになる気持も分かるというものだ。

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