2004-06-12 Saturday
D・レーガンに学ぶ楽観
 
 米国第40代大統領ドナルド・レーガン氏の死は、楽観論が人々にあたえるであろう安心と希望、自信を想起させるよすがとなったようである。私は今でもはっきりおぼえているが、レーガン氏が狙撃され重傷を負い、凶弾の摘出手術をおこなったときのこと、大統領は執刀医に向かってこういった。「君たち、共和党員だろうね」。
共和党員レーガン氏は片時もジョークを忘れなかった。片時もというのは比喩ではない、この人は天性のユーモリストであり、ジョークの天才なのだ。レーガン氏は極めつきの楽観論者だった。極めつきと言い切るには、悲観的に考え楽観的に行動するといった人生の処し方のつけ入る隙もなく、頭のてっぺんから足の先まで楽観がギュウギュウ詰めになっている人でなければならず、その点レーガン氏はそのままの極めつき。
 
 悲観的に生きるも一生、楽観的に生きるも一生なら、楽観的に生きるほうが周りに迷惑をかけずにすむといった話が通用しない国はいざ知らず、米国にあっては人は神の子であり、死んで神になるわけでもなく、いわんや仏になるわけのものでもない。
この世でおきたことは必ずこの世で解決できる、解決せねばならない、すくなくともそう心に期して身を処するなら、悲観的に行動することの馬鹿々々しさがみえてくる。悲観は生まれつきの性格といってしまえば身も蓋もない。
 
 現・米国大統領G・ブッシュとその補佐官のように、楽観的に考え悲観的に行動するタイプの人間なら、実体のないものに疑惑の目を向けることもあろうし、総じて疑心暗鬼の権化となって、要らざるもめごとを頻繁に生じさせる可能性もあるのであってみれば、レーガン氏の爪のアカでも煎じて飲めばよろしかろうと思う昨今、悲観論者の見る幽霊の正体はつねに枯れ尾花なのである。
 
 ところが、不景気は悲観的なものいいをする人間を支持するもののようで、現に日本などはその傾向が顕著、楽観論者の小泉さんが国民の過半数に支持されているのは意外だが、1980年、米国の不況のさなか大統領となったレーガン氏は大衆の疑心暗鬼の的であると同時に復興のシンボル、希望の星でもあった。
 
 レーガン氏の大統領在任中、ホワイト・ハウスでのホロヴィッツのリサイタルのようすをほんの少し記したのであった(Book Review「ホロヴィッツの夕べ」)が、ピアノの置かれた壇上の端に陣取っていたナンシー夫人が、どうあやまってかステージから花のデコレーションの中に落下した。
落下音はまるで銃声のごとく響き、ホロヴィッツなどは、だれかが大統領夫人を殺し、つぎに自分を暗殺するのではとおびえたという。その時すかさずレーガン氏は、「お前、私が拍手をもらえなかったときにだけそうするように言っておいたじゃないか」と悠然といったのだった。

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