2004-05-22 Saturday
子供たちの帰国
 
 長い一日だった。家族会の人たちにしてみれば、人生でもっとも長い一日であったのではないだろうか。
 
 小泉さんへの評価は二分する。各人の置かれている状況と分析方法によって評価は大きく異なってこよう。家族会のなかにおいても評価の分かれることは論をまたないが、それは期待の大きさに比例する。期待通りの結果というなら、そんなに激怒することもないのであるが、そこは人の子、人の親、期待が大きかっただけに落胆も怒りも大きいのだ。
 
 たとえはよくないと思うが、泥棒に盗まれたものを返してもらうだけなのに泥棒を支援するとは何事か、ということである。十人の安否不明の方々に関するあらたな情報を取得できていれば、家族会の小泉さんへの評価はちがったものとなっていたはずである。
ただ、拉致問題はすでに解決済と主張していた北朝鮮が、再調査の文言を打ち出しただけでも前進はあったとみるのが妥当である。妥当でなかったのは、再調査の終了期限に関する言質を北朝鮮から取らなかったことである。
 
 再調査が無調査の別名であれば論外だが、家族会は北朝鮮側の再調査など信用できないと断定せざるをえないのだろう。そうなると結局、小泉さんは何もしないほうがよかったということになる。が、はたしてそうなのか、何もしないほうがよかったのか。
 
 拉致問題と国交正常化、非核化と東アジアの安全保障は一つの線で結ばれている。だれのためでもない、それぞれの国に住むそれぞれの私たちのために成し遂げるべき課題なのである。すこしでも不安を取り除くために、すこしでも飢えと悲惨を軽減するために。
そしてまた、拉致問題が未解決状態での国交正常化はありえず、核武装を継続して東アジアの安全保障もない。北朝鮮の主張する安全保障は東アジア全体のそれとは相反関係にある。
 
 不満噴出の家族会であるし、その心情と立場を思えば必然的ともいえる。にもかかわらず小泉さんはよくやったと思う、小泉さんでなければだれがやるというのか。思うような成果が上がらなかったとはいえ、今後の道筋はつけた。それさえ否定するなら、信ずるに足るものはなくなりはしまいか。
 
 平壌の記者会見での小泉さんの言動は誠実、正直そのものではなかったか。正直者はときに損をする。一言一句に一喜一憂する状況下の家族会に対して、あらぬ誤解を生む発言があったかもしれない。それは、「ご家族は安否不明の方々の生存を信じておられるのだから(再調査が必至)」という趣旨の発言で、「生存を確信しています」と発言しなくてむしろよかったと私は思っている。
 
 そういうもの言いは政治家的発言というほかなく見えすいている。小泉さんはそう言わず、生存を信じる家族のための尽力表明をしたのである。人間としての誠実さ正直さ、その類いまれな率直さに免じて鉾先をおさめ、起死回生をはかるほうが将来の糧となるのではあるまいか。
 
 二家族の子供たちが帰国した。私はいいしれぬ安堵感とともに、現在の日本の若者にはあまり感じられない何かを彼らに感じていた。彼らはまだ若い、環境に順応するのに時間がかかりすぎることはないだろう。。猥雑と過剰から縁遠かった彼らには、この国の同世代が持っていない何かを保持している。それは私たちの世代ですら見失っている古き良き時代の面影なのかもしれない。両親が舐めた辛酸を理解する頃、子供たちは一回り大きくなっていることだろう。

前頁 目次 次頁