2004-05-12 Wednesday
団十郎の休演
 
 一昨日、五月十日の歌舞伎座公演から団十郎が病気休演していた。歌舞伎役者が病気を理由に休演するのはめずらしいことではない、平成五年、当時の孝夫(現十五代目片岡仁左衛門)は南座・顔見世の千秋楽をつとめあげた後、八ヶ月有余の闘病生活を余儀なくされた。
もっとも、これは途中休演ではなく最初から板の上に立てなかった。それほど孝夫の病気は重かった。(詳細は「歌舞伎評判記U」の「仁左衛門の心技体(一)」)
 
 最近の猿之助の病気休演、また、富十郎や段四郎も体調不良をうったえて、やむなく休演したことは記憶にあたらしい。だが、団十郎とほぼ同年齢の私には団十郎休演はまったく記憶にない。
歌舞伎は、歌舞伎座、南座、松竹座などのばあい通常二十五日ぶっ通しで興行される。途中で体調を崩す役者もいようが、少々のことならまず休演しない、無理をしても楽日までつとめる。それがかえって役者の身体をさいなみ、痛めつける。
 
 しんどいからと舞台で手を抜く役者もいるが、団十郎が手を抜いた舞台は一度もみたことはない。市川宗家の大名跡を背負っているということが団十郎をして手を抜くことを拒ませたのだろう。むろん本人の性格もある、そういう人だ、団十郎は。
 
 今夕、松竹が団十郎の病名を発表した。急性前骨髄球性白血病だった。急性非リンパ球性白血病ともいうが、血液のガンである。私は正直愕然として、ことばもなく天を仰いだ。一見健康そうな人も重い病魔におかされることはある、しかし、まさかあの元気でタフな団十郎がと思った。
たしかに先代十一世団十郎は病弱だった。母親も無理につぐ無理を重ねてきたから長生きはしなかった。だからそれが何というのだろう、しかし、そういうことを思いおこさずにはいられない。
 
 松竹の話では、団十郎の急性白血病は初期の段階であり、入院と投薬で治療可能ということだが、はたして信じられようか。急性骨髄性白血病の治療法としては、化学療法にたよるか、骨髄移植するかの選択肢しかなく、投薬で治癒するのは稀だ。治療に関する詳細は知っているが、詳しく書こうとは思わない、書いたところで、団十郎がすぐに治癒するわけのものでもなく、団十郎贔屓がよけい不安をつのらせるだけである。
 
 いま思うことは、団十郎ほどの歌舞伎役者ともなれば、この国の最高の医療機関、最高の専門医の治療をうけられるということだ。松竹の紹介がいまひとつなら、団十郎贔屓の小泉さんと内閣官房のツテでそういった治療をうけることも不可能ではあるまい。それくらいの骨を折ることは電話一本ですむ話ゆえ、ぜひ骨を折っていただきたい。
 
 海老蔵襲名の記者会見席上で団十郎は、息子の新之助をみやって、「このたび団十郎襲名を‥」と間違えて言った。あのとき団十郎も新之助も思わず笑っていたが、あれ以来、私は不吉な予感がしていたのだ。新之助が海老蔵を飛ばして団十郎を襲名することはない、団十郎襲名の前にまず海老蔵を襲名せねばならず、海老蔵の団十郎襲名は団十郎亡きあとではないか。
 
 かつての仁左衛門がそうであったように、つらいだろうが、恢復するまでは最大限、最良の治療にすべてをそそいでもらいたいと思う。団十郎がふたたび板の上に立つ日の来ることを衷心から願ってやまない。
 
    (2004年5月12日午後7時58分脱稿) 


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