2004-05-08 Saturday
人質雑考
 
 昭和20年代後半〜30年代半ば、小学生だった私は、たまたま自宅のすぐそばが映画館であったのと、テレビの普及していない時代ゆえ、当時の娯楽・邦画を頻繁にみた。頻繁にみたのは子供の入場料30円という手軽さのせいではない、「エッセイV」の「プアマンズ・ドルドーニュ」に記したように、映画館の守衛の子と知り合いとなって、裏口から無料(ただ)で入れたからだ。
 
 その頃は東映時代劇の全盛期で、歌舞伎や新国劇から映画に転じた俳優がスクリーンせましと活躍していた。時代劇映画の共通点は勧善懲悪で、悪は栄えず、いつかは滅びると分かっているから安心できた。テレビの「水戸黄門」はいまもその伝統を継承する。
 
 悪役はだいたい決まっていて、進藤英太郎、山形勲、原健策、阿部九州男といった面々で、彼らは剣の腕で主役にかなうわけのものではないから非常手段にうったえる。悪人にも苦肉の策があるのであった。それがつまり人質をとるという卑怯な手段で、むろん、人質をとるのは主役をおびきよせるためである。
主役は速馬を走らせ人質救出に向かうのだが、人質のなかには殺される者、助かる者とわずかな局面が生死をわかち、そこのところの展開のあやにハラハラ、ドキドキするのである。
 
 人質になるのはほとんど女子供。女や子供が計略にはまって、よせばいいのに指定された場所に行って人質になるのだが、そこで悪役がきまっていう言葉があった。「飛んで火に入(い)る夏の虫」というセリフである。悪役側からみれば、「待ってました、一丁上がり」なのだ。
 
 「夏の虫がたのまれもしないのに火のなかに入ってくる、バカな虫だ」というほどの意味であるが、まったく人を食ったセリフで、多くの子供はこれをまねた。どういうときにまねしたかというと、夜中に雑木林の幹に甘い蜜をぬってクワガタやカブトムシを採取したときや、ほかに何か仕掛けをしてトンボ、バッタなどの昆虫をやすやすと捕獲したときである。
 
 そして、ほとんどの子供が口には出さないが、自分はぜったい「飛んで火にいる夏の虫」になりたくないと思った。それはまさにバカの象徴で、夏の虫になるのはとても恥ずかしいことなのだった。
 
 私たち、すなわち戦後のベビーブーム、団塊と命名された世代の多くはこの共通認識がある。かりに人質になったら、時代劇の主役はいわずもがな、自分の家族にも迷惑がおよぶ。
映画の主役はヒーローだから、映画のなかで人質を助けにくるが、もしこれが映画でなかったらどうなるのだろう、助けにきてくれないかもしれないし、よしんばきてくれても救出に失敗して無惨な最期を遂げはしまいか、そんなことを考え不安でいっぱいになるのだ。
 
 そういう心配とか迷惑をかけないためにどうするか、話は簡単明瞭、「火に入る夏の虫」にならぬよう慎重に行動することである。それが私たち世代のたしなみだったから、万が一そういうハメに陥ったとき、慚愧にたえない思いをした。「穴があったら入りたい」、この言葉は決して比喩ではない、ほんとうにそう思うことがあるのだ。
 
 あれから時代は移った。人の考え、価値観も有為転変、なにがなにやらわけの分からない時代となった。目的が間違っていなければ行動が正当化されていいのか‥と私は思うことがある。
救済を必要とする人たちのために行動しているという自覚があっても、慎重さを欠いた行動をとれば、悪役から夏の虫呼ばわりされるのがオチだと私はいまも思うのである。 

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