2004-03-29 Monday
予防にまさる治療なし
 
 前々からわかっていてもそのままにしておこる事故、発症する病気のなんと多いことか。ほうっておけば必ずといってよいほどおこるのに何もしない、なぜ何もしないかというと、本当におこるとは思わなかったというからおそれいる。おこらないよう細心の注意を払ってもおこるときはおこるのである、相手の不注意や自らの不運によって。
 
 そういう目にあった人からみれば、避けようと思えば避けられたのにどうして避けなかったのかと不思議でならないだろう。自分からすすんで不幸に向かうとはなんという人かと呆れかえるだろう。そういう人たちに表題の「予防にまさる治療なし」といっても詮ないことで、うんと治療費というか授業料を支払ってもらうしかなく、それでも懲りない人はさらなるお灸を覚悟してもらうほかない。
 
 六本木ヒルズの回転扉にはさまれて亡くなった子供は、回転扉の設計者とビル管理者の認識の浅さ、事故が繰り返しおこって懲りない者たちの犠牲となった。責めはかれらが負うべきで、かれらは明らかに予防を怠っていたのである。かれらには高い授業料を支払ってもらわねばなるまい。
 
 身近な人々、それも私にとって特別大切な人々のなかにそうした柔軟性のない人は僅少であるが、かつてこんなことがあった。
その少女はクラスのなかでも身長が二番目に高く、そのままいけば数年後に165センチほどまでは伸びるのではないかと思われていた。小学6年生の秋、運動会用騎馬戦の予行演習をしていたとき(その少女は騎馬3人の先頭)、騎馬同士がぶつかり、重なりあってくずれた拍子に騎手が少女の首に落下し、少女は頸椎を傷めた。
 
 その日の夕刻、整形外科の診察をうけた結果、X線に特に異常はみられなかったものの、数日は通院して様子をみたほうがよいというみたて(診断)だった。その整形外科は近所でも評判のヤブ医者で、私は異常のないことが異常と言い張り、明日からの予行演習は休むように強くすすめた。少女の担任は女性で、話をきいたかぎりでは相当頑固な人のようだった。
 
 少女は予行演習を休むことはできない、G先生に(担任)そんなことはいえないといった。それなら私が学校に行ってたのんでこようといったら、それはやめてくれとかたくなに拒否した。母ひとり子ひとりの母親は、少女の強硬姿勢になすすべもなかったというよりは、ことを安易に考えていたようだ。予行演習を休ませなくても大事にいたることはないと。
 
 これが自分の子ならと私は思った。自分の子なら何をいっても予行演習をやめさせていたはずである。担任は少女が整形外科に行ったことを知っていたが、予行演習を継続させた。ただひとこと、気をつけなさいと少女にいっただけだった。
 
 あれから何年たったろう、訴訟沙汰にもならず少女は二十歳の大学生になったが、身長はその当時のままで150センチにもみたない。あのときなぜ職員室に押しかけて直談判しなかったのか、少女がかたくなに拒絶しても自分の子のように行動しなかったのかと忸怩たる思いである。少女とはいまでも時々あっている。私のなかの思いとは裏腹に少女は明るく陽気である。

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