2004-03-22 Monday
市川猿之助
 
 猿之助が脳梗塞で入院したとき最初に思ったことは、「ヤマトタケル」と「伊達の十役」をみておいてよかったということだった。猿之助の病状を心配するより先にそんな不埒なことを思ったのは、とりもなおさず猿之助の稀有で無類の役者ぶりに依る。
 
 三月松竹座の「新・三国志V」は猿之助休演でがっかりした。スーパー歌舞伎での猿之助の代役のつとまる役者は一座にいない。むろん、スーパー歌舞伎ではなく古典歌舞伎の世界にも代役はいない。それほど猿之助という存在は大きいのである。その猿之助が松竹座だけではなく演舞場での二ヶ月公演(五〜六月)も休演するという。肝機能障害でドクターストップがかかったそうだ。
 
 猿之助の舞台は、みたことのある人ならおわかりのように一切手を抜かない。そういうとほかの歌舞伎役者なら手を抜くのかといえば、手を抜く。私の知るかぎり、現役で手抜きしないのは猿之助と仁左衛門だけである(よく手抜きするのは吉右衛門)。
一公演二十五日は長い、体調の思わしくない日もあれば、客のノリが悪い日もあろう、役者も人の子、そういうとき気分がのらず手を抜くこともあるのである。
 
 贔屓というのはありがたいもので、勘九郎、玉三郎、三津五郎などの中堅どころを贔屓する客もいれば、雀右衛門、鴈治郎などのベテラン(歌舞伎界では大幹部というが)を贔屓にする客もいて、贔屓する理由はさまざま、マチマチ、勘九郎は滑稽さとシリアスさとの対比、玉三郎は色気と精緻、三津五郎は無類の踊りのうまさといったところであろうか。ベテランはやはり、たっぷりと時間をかけみがきあげてきた円熟味といぶし銀の芸質である。
 
 猿之助にはそうした役者のだれもがもっていない特別の芸質がある。いや、芸質ではない、あれは何といったらよいのか、役者であり人間でありながらそうではない異形のもの、そして神々しさとでもいうような何かが‥。
 
 猿之助のスーパー歌舞伎は当初ケレンといって一段低いものとしての扱いをうけていた。それは、歌舞伎のなんたるやを知らぬ古典崇拝の演劇評論家が、お高くとまって猿之助を揶揄批判したのである。歌舞伎に高いも低いもあるものか、あるとすれば芸の高低であろう、芸の拙(つたな)い役者がやれば、古典だろうが新作だろうが拙いものとなり、芸の立つ役者がやれば客は唸り、舞台は感動の坩堝と化すのだから、肝心なのは古典かケレンかではなく、役者の芸なのだ。
 
 猿之助は狐を得意とする。それと同時に物の怪を演じるのが得意で、その化け方ぶりは、この人にはもしかしたら狐かなにかが憑いているのでは‥と疑いたくなるほどのうまさなのだ。異形のものと記したのはそういうことどもに依る。
そしてまた猿之助は「ヤマトタケル」のような猛々しく、また神々しいものも得意なのである。ヤマトタケルの終幕の宙乗りのときのあの神々しさは、ほかに比較しようのない類のそれである。異形のものといい、神々しさといい、だれがあれほどうまくやれるだろうか。
 
 猿之助は近年、「信ずれば夢はかなう」をモットーとしている。この言葉には含蓄のふかいものがある。猿之助が自らの体験をとおして修得したエッセンスがその言葉のなかに含まれているからだ。おそらく猿之助は若いころからそれを座右の銘としてきたと思われるが、自身がながい人生で実践した後に使ってしかるべきと考え、いままで使わなかったのかもしれない。
 
 いまは「新・三国志」のなかで猿之助演じる登場人物にその言葉を語らせている。これが実にいいのである。信じて、夢をもちつづければいつか夢はかなう、という気にいっときでもさせてくれるのである。役のなかで神的な人物を演じながら、最後の見せ場(それはたまさか宙乗りの場合が多い)で客の目を釘付けにする。それこそがまさしく猿之助の神々しさにほかならない。
 
 詳細はいずれ「歌舞伎評判記U」の「猿之助論」で。

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