2004-03-16 Tuesday
坊主が憎けりゃ袈裟まで‥
 
 高橋尚子落選の報で陸連のバカ正直さというか単純さをあらためて知り、選考委員の屈折した思惑を再認識させられた。マラソン女子オリンピック代表は過去の実績より四大会の成績を重視するという選考基準そのものは間違っておらず、専門家(過去の長距離ランナーで、そこそこの実績を有する人という意味か)以外の者にもわかりやすいだろう。
 
 だが、わかりやすいということと説得力とは別物であろうし、わかりやすさということを一種の隠れ蓑‥小出氏の型破りな指導法が気にくわないことへの‥にして高橋尚子はずしをしたとなれば、おおかたのQちゃん贔屓はたまったものではない。
指導者にはそれぞれその人ならではのスタイルがある。小出氏のように日本陸連とはあきらかに一線を画す人の指導法や対応が、かれらの常識からみて容認しがたいものであったとしても、それはそれ、ランナーや競技大会に即したものであればよいのではあるまいか。
 
 陸連委員の大半は、高橋尚子を選出することに異論があるというよりは小出氏に異論がある、そう取られても仕方のないような今回の落選である。誤解を恐れずにさらにもの申せば、野口ほか二人がアテネで走って高橋よりメダルに近いと彼らが判断したのなら、それは洞察を欠いた判断であり、ほとんど幻想としかいいようのない類の選考結果である。
 
 彼女たちの目標はいうまでもなく高橋尚子である。目標は金メダルというなら、それはそれでよいのだが、金メダルの前に高橋という大きなメダルが存在し、高橋に勝負を挑み、そして高橋をうち負かさなければメダルを得れようはずもない。高橋のいないアテネで月桂樹の冠が女子選手の頭(こうべ)に垂れたなら、日本は神の国であり、勝者は神の子である。
 
 私は暑い盛りのアテネにしばらく滞在したことがある。夏のアテネは暑い。朝晩はそれでも涼しいが、海洋性気候の特徴は昼夜の温度差がはげしいことで、午前10時ごろから気温はうなぎのぼり、正午前は猛暑というほどの暑さである。ランナーが不覚をとるとすれば、暑さに身体がついていけないことと思われる。なに、そんなことは先刻承知と各ランナーの監督は考えており、そういう暑さに対応したトレーニング・メニューを組むだろう。
 
 しかし、トレーニングと本番の暑さはちがう。オリンピック独特のプレッシャーが選手の心と肉体の均衡を狂わすからである。そうした狂いが別格の暑さを生む。生理の日程に変調をきたすくらいならまだよい、本番二ヶ月前から生理が止まる、あるいは、四、五日前に終わったのにまた来た、そんなことが実際におこるのだ。
 
 ランナーは、ライバルとの勝負のまえに、そういうことどもとの勝負に悪戦苦闘する。42,195`を完走するつもりでも、はたして完走できるのだろうか。途中棄権するランナーの顔がみえてきそうである。この国の陸連委員にそんな顔はみえないだろう。みえたなら、選考結果は異なったものとなっていたはずである。
彼らの目には小出氏(と愛弟子)の態度が鷹揚にうつったに相違ない。あんな悠長な者にオリンピックへの切符をわたすわけにはいかない、そう考えたにちがいない。陸連委員を思うと、幕末の江戸城を連想するのである。この文章が春の夜の幻想、または思い過ごしであればよいのだが。

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