2004-02-16 Monday
Fish is finished
 
あれは1975年の10月であったか、羽田発モスクワ行きのSU(アエロフロート)機に搭乗しアテネに向かい、乗り継ぎの関係上モスクワで一泊したのは。
 
 当時の北回りヨーロッパ線はアンカレッジかモスクワを経由するしかなかった。飛行距離はモスクワ経由のほうが短いが、目的地によっては当日中に到着する便がなく、モスクワ市内にある殺風景なホテルに一泊し、翌日のアテネ行きの便に乗る。アテネ行きといっても直行便ではない、ブルガリアのソフィアでワン・ストップする。
 
 あの頃の旧ソ連は‥まあ、そんなことはどうでもよろしい、いずれ別稿でご紹介する機会もありましょう‥国営アエロフロート便の機内にも共産主義の片鱗が少なからずみられた。客室乗務員の無愛想、サービスの悪さのついては利用者がつねづね話題にしていたし、だからこそ一度は経験してみたい外国便のひとつだった。
 
 なにゆえこのようなものを書く気になったかというと、ついこの間から放映されているテレビ・コマーシャルのなかで「フィッシュ・オンリー」と女性客室乗務員がのたまう、あの容貌と声色が当時のアエロフロート機を彷彿とさせるからである。私が搭乗した便の彼女たちもああだった。
 
 世界三大美女のひとつに上げられていたベラ・ルーシー(白ロシア)のきめこまやかで透き通るような白い肌、ツンと上を向いた形のよい鼻、われしらず求愛したくなる大きな瞳、ホンネで語ってくれそうな魅惑的な唇、そこに立っているだけでクラクラするほど均整のとれたプロポーション。
だが、そんなものはすべて絵空事、なかにいたのは、通路ですれ違うことさえおぼつかないドラム缶で、砲丸投げのオリンピック代表がスチュワーデスのコスチュームを着ていた。
 
 1975年は昭和50年、日本は豊かになってはいたが、むろん昨今のような豊かさとは様相を異にしていた。国際線の機内食を例にとっても選択肢は限定されていたし、要するに「肉か魚か」、それしかなかった。機内食のまずい、うまいを論じることのできる時代に旅する人たちはしあわせなのである。私がアエロフロートを選んだのは好奇心のせいだけではない、ほかに較べて運賃が安かったからだ。
 
 機内食の牛肉は、皮靴の底よりはいくぶんかマシな程度で、甘みがあってやわらかい和牛の味と口当たりに慣れた者にはとうてい許容できるシロモノではなく、私は魚を注文しようと決めていた。
 
 羽田発のアエロフロート機は空席が目立ち、肉か魚かと客室乗務員が注文を取りにきても何の問題もあるまい。その時間が近づき客室乗務員がやって来た。私はエコノミー・クラスの最前列に陣どっていたので、魚を楽々食せるのであった。肉か魚かをきかれなかったことに特に不審感も抱かず私は「魚を」といった。
 
 そのとき彼女が砲丸を投擲するかのごとくのたまったのが表題のことばである。
「フィッシュ、フィニッシュド!」。イズはどこかに吹き飛ばされた。

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