2022-03-22 Tuesday
報道その2
 
 プーチンの仕掛けた戦争はヨーロッパの警戒心と結束、ポーランドの警戒が高まっているのは当然で、夜の報道番組に防衛研究所の軍事専門家、自衛官出身の政治家、元自衛隊幕僚長など現場感覚にすぐれたゲストによりBS-TBS、BSフジで活発な意見が交わされている。
 
 プーチンの威嚇、脅迫を注視、警戒すべきであり、欧米の経済制裁、ウクライナへの軍事協力が過度になってプーチンの出口を閉ざすと核兵器使用の脅威に結びつくという意見もあるが、出口は彼自身が閉ざしている、自ら核兵器以外の突破口を開かなければロシアは終わるという意見もある。
 
 現在のウクライナとロシアは明日の台湾と中国であり、有事のさい中国が核で脅してきた場合、米国が日本を守るかどうか。日本はわが事として防衛力を強化せねばならないという意見。
ヨーロッパ諸国はロシア航空機の上空飛行禁止という措置を損得勘定ぬきでおこなっているのに、日本はそうした措置を取らない。防弾チョッキじゃ、双眼鏡じゃと言って断固たる措置もとらず、ぬるい経済制裁だけで欧米が得心するだろうか。
 
 3月21日(月)、19:30スタートのBS-TBSの報道番組を45分ほどみて、BSフジにチャンネルを切り替えたら、防衛研究所の高橋杉雄氏と参院議員の佐藤正久氏が出演。佐藤氏はコロナ禍以来、政府よりから国民よりの発言となり、ウクライナ戦禍で本領を発揮している。プーチンと呼び捨て、ロシアの敗北を期待するような物言い。よく言ってくれた。
 
 高橋杉雄氏の気合いの入れかたは服装を見ると明らかだ。黄色のシャツの鮮やかなブルーのネクタイ、ウクライナ国旗の色である。目の色も違った。高橋氏の分析力、説明力は群を抜く。
時間内の的確、豊富な解説は見事で記憶にとどまらない。夜の報道番組に招かれた男性論客からは気取った雰囲気も曖昧な態度も消え、気迫がみなぎっている。
 
 女性で気骨があるのは筑波大の東野篤子氏。ウクライナ研究に携わった経緯があり、ロシア政治経済に通じ、オリガルヒ(ロシア新興財閥)という文言をメディアに紹介。また、「プーチンのウクライナ侵攻はヨーロッパの目覚まし時計になった」と述べたという。東野氏は事の次第を数分で包括的に伝える能力にすぐれ、話にキレがある。
 
 東野氏の夫は最近報道番組に出演しているヨーロッパ政治学者・鶴岡路人氏で、「ウクナイナに抵抗しつづける意思がある限り、武器供与を含めて支援を続ける必要がある」と発言。鶴岡氏の話は簡潔でわかりやすく、説得力がある。
 
 英国などヨーロッパの首脳は経済制裁の目的がプーチン政権の崩壊であると言い切っている。こういう非常時に損得勘定を置き去りにして乗り切るのがヨーロッパ流。プーチンの逆制裁を予見、覚悟した上での発言であり、措置である。
 
 報道番組はというと停戦を急いでいるようにみえる。停戦条件がウクライナに有利か不利かは関係ない、極端な言い方をすれば、キエフが陥落しても、ウクライナが降伏してでも停戦が優先という調子で停戦交渉を取りあげていた。
 
 停戦の先に終結が見えなければならない。停戦されたとしても、家を破壊され、家族を殺された市民の生活はどうなるのか、東京のテレビ局はあまり気にしていないようにみえる。日本が巻き込まれて生産物価が上がり、消費者に転化されることが心配なのか、第三次大戦の予兆を危惧しているのか、とにかく停戦交渉が焦点だといわんばかり。
 
 報道の常套句は「国際社会の厳しい目がそそがれている」。国際社会は欧米と日本だけではないか。アジアで日本以外の独立国家のどこがロシアを厳しい目でみているのか教えてもらいたい。中国から経済援助を受けている国々は遠慮して沈黙するか、態度をあいまいにして言葉を濁す。何が国際社会か。
 
 メディアの多くは、ロシアが武力でウクライナを圧倒しているという先入観・固定観念を持っている。ウクライナが早めに降伏するほうが犠牲者も少なくてすむという視点。軍事専門家がロシアの戦術・戦略のお粗末さについて言及しても真剣に聞いていない。ロシアに占領された町をウクライナが奪還する可能性だってある。
 
 ロシアに有利な停戦によって避難しているウクライナ市民、国内にとどまった人びとの行く末がどうなるか考えれば、安直な停戦は避けるしかないと誰にでもわかる。もしかしたら国を実質的に失うかもしれない。避難する人たちのうしろから手にスーパーの手さげ袋を持って泣きながら歩く少年(5〜6歳)。付き添っている人はいない。プーチンに対して怒髪天をつく。
 
 たった一人の男に欧米諸国と日本が振り回され、押さえ込むことも処断することもできないなんて異常というほかない。
 
 戦争を報道した日本の報道記者にこれはと思える人がいた。二村伸である。彼は外大でアラビア語を学んだ。
二村氏に注目したのは2000年前後のアフガン戦争でジャララバード(パキスタン国境に近いアフガン領)で取材をおこなってからだ。前線における長いテント生活。
食料は缶詰と保存食、ロクなものを食べておらず、歯磨きもあまりできない状態だったのだろう、歯はボロボロ、顔は土とほこりにまみれていた。
 
 米国兵士の前線で彼は米国側からでもなく、タリバン側でもなく、ソ連侵攻時や撤退後の内戦で果敢に抵抗した正統ムジャヒディン側(マスードが指揮者)に立って取材を続けた。マスードがめざしたのは国の自由と主権である。そして生きるために。
 
 心意気と根性で長期取材を乗り切った二村伸は報道記者の鑑であり勲章であり、現場そのものである。日本で彼ほど戦場が似合う記者はほかにいない。

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