2022-03-16 Wednesday
報道
 
 報道で重要なのは現場感覚だ。現場でもっとも感覚が研ぎ澄まされているのは被害者の市民である。戦場化した現場で自分と家族が犠牲を強いられて実感する。ヨーロッパの町は度々戦禍に巻き込まれ、市街戦の犠牲者も多い。
弱い者は強い者に従うという考えを戦後日本の民が受容しているわけでもないのに、いまだにお上(かみ)と言う。しかたないよねとあきらめムードになる人が後をたえない。世の中変わったのに。
 
 EU諸国のなかでも旧ソ連時代に弾圧・侵攻をうけてきたフィンランドなどのヨーロッパの国々、特に東欧諸国はこういうときにこそロシアに抵抗する。反発ではない、文字通り抵抗である。プーチンの軍事侵攻はかれらに火をつけた。
弱いとみなせば獲物を襲う動物より邪悪なプーチンに狙われないためには自国の防衛力を強化しなければならない。東欧が連帯してロシアの脅威を封じ込める。それが今である。善は急げ。
 
 日本の専門家、学者の一部は平和ぼけして現実の戦争をパワーゲームのようにとらえる傾向が強い。ロシアの戦術戦略をロシア側に立って分析するのは構わないし、ロシアの作戦が計算違いしていたと論評するのは結構なことだ。
 
 しかし、ロシア国営テレビ局員が「戦争反対」のプラカードを持って局アナの背後に飛びこみ、「ウソの報道をしたこと、ロシア人がだまされていたことを知っていたのに、黙っていたことが恥ずかしい」と言ったのに対して、3月15日午後7時のニュース番組に出演した慶応大教授が「異例です」と発言。彼女はロシア政治に詳しいらしい。午後11時のニュース番組でも「異例」と発言。
 
 11時の番組では「勇気ある行動」と付け加えた。勇気ある行動は誰でもわかっている。テレビで発言するのなら一歩前進して、拘束覚悟の尊い行動だと言うべきだろう。自分を恥じるのは良心として、行動をおこすのは自分のためだけではない。尊いとはそういうことである。
 
 そしてまた、だれから、どこから見て異例なのか。プーチンの意のままに動いている国営テレビ局の立場で異例と言っているのではないだろうが、寝ぼけた報道をしている日本のメディアでさえ、これを異例とは呼ばない。
それで終わらず、ウクライナが停戦交渉を模索するさなか、「ロシアのポジティブな交渉」とはどういう意味か。ウクライナは主権を持つ独立国家だ。ウクライナ国民の未来を奪おうとしているプーチンにポジティブな交渉ということなら交渉自体が意味をなさない。
 
 プーチンはウクライナのインフラを徹底的に破壊している。町に残る人たちの窮状に思いをはせてみよ。食料不足に苦しむ人たちの悲惨を考えたことはあるのか。避難しているウクライナ市民が帰国できても、就労は確保されるのか。生活は安定するのか。復興への欧米各国支援も限界がある。できるかぎりの支援を願う。
 
 プーチン支持者がロシア国民全体の何割を占めているのかわからないが、4〜5割程度いるかもしれない。プーチンの管轄下にある国営放送の報道を信じ、欧米の報道は偽情報であると思い込んでいる。支持者でなくても欧米の報道を虚偽と考える中高年は、アンテナをいっぱい持つ若者に較べると多いだろう。ロシアは21世紀の暗黒大陸である。
 
 停戦交渉が難航することは誰の目にも明らかで、ロシアが有利に交渉を進めることなど埒外。長年のロシア研究でロシア贔屓になったとしても、ポジティブとはことばの使い方を知らない者の論評としか思えない。戦禍で悲惨な経験をしている市民は彼女の頭から消えているのだろう。
報道番組で研究論文のような発言しかできない学者はノーサンキュー。出演するなら表現力をみがきなさい。市民の立場を深刻に考えればおのずと言葉が浮かび、視聴者に訴えかけてゆくだろう。
 
 ニュースキャスターは、この瞬間にも多くの人たちが犠牲になっているという厳しい、引き締まった表情になっている。が、締まりのないへらへら顔で話す彼女に深刻さはない。いっそモスクワへ移住し、国営テレビの常任ゲストになりなさい。でなければ発言を軌道修正することです。
 
 異例だとか前例がないという文言は日本の報道の常套句。過去に類例があるかどうかロクに調べもせず垂れ流す。20世紀半ば旧ソ連が東欧諸国に対しておこなった弾圧、ソ連解体後21世紀になってチェチェン、シリアでプーチンがおこなった殺戮、クリミア半島の侵攻を忘れたのか。
当時モスクワの報道ジャーナリストや学者の一部はプーチンを批判したではないか。情報操作されている同胞に真実を伝えたいからだ。日本の報道ディレクターは彼女と同じような健忘症か、固定観念のかたまりか。前例があると知っていて異例と発言する官僚になり下ったのか。
 
 近年のウクライナの行動がプーチンの非道を正当化するきっかけをつくったとか、プーチンにつけこまれたと発言する者もいる。君がプーチンの思考を正当化してどうなる。物事にはどうあっても正当化できないもの、してはならないものがある。そういう発言が片棒担ぎになると認識できないほどノーテンキではないだろう。
 
 戦場から逃れてきた人たちをテレビでみるのは辛い。悲惨な経験をした母親のことばを聞くと胸がつまる。ポーランドだったか、市民が寄付したダウンジャケットの袖をボランティア市民に折ってもらい、喜ぶウクライナ避難少女の顔を見て泣きそうになり、プーチンへの怒りが噴出する。
非難すべきは一方的に侵攻し、無差別爆撃をやっているプーチンである。西欧諸国や日本のテレビに出演するなら、立場がどうあれ、彼は邪悪だという思いで発言しなければ共感をえられないぞ。学者としての評価は、学者も色々だからよくわからないとして、人間としての株は九分九厘下がるだろう。

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