2022-02-28 Monday
ヨーロッパ
 
 2022年2月28日正午ごろ、民放テレビでウクライナの映像が紹介された。ロシア軍戦車のそばに歩み寄る中年女性が若い兵士に向かって言う。「あんたたちのポケットにひまわりの種を入れておきなさい。あんたたちが倒れたら、そこからきれいな花が咲くだろう」。兵士は女性に「落ち着いて」と言う。映画に出てくるようなセリフ。
 
 こうしたシーンが映画ではなく戦場化した町で見られるのがヨーロッパ。昔も今も、悲惨なときにさえ独特のウイットがある。久しぶりに怒りが噴出し、さまざまな記憶がよぎって涙があふれた。
 
 イタリア映画「ひまわり」に出てくるひまわり畑。行けども行けどもひまわりが咲いている。ウクライナとおぼしき冬の荒野。戦いに敗れて故国へ向かうイタリア兵は歩き疲れて倒れていく。その直後ひまわり畑のシーンが名曲「ひまわりのテーマ」とともに流れる。男と女の不幸に対して特に感慨はなかったけれど、ひまわりに泣いた。
 
 ウクライナはヨーロッパの穀倉地帯である。主な産業は農業、国土の70%は農用地で、とうもろこし、小麦、じゃがいも、ひまわりの種を輸出している。ひまわりの種の生産量は小麦の約半分1300万トン、かなりの量。それでもウクライナは貧しい。
 
 ヨーロッパが戦場と化したのは20世紀末のコソボ(バルカン半島内陸)紛争以来ではないだろうか。99年6月、3週間英国を旅したとき、テレビをつければ毎日CNNが「コソボー」と独特の発音で言い、BBCやABCの従軍記者が現地から放送していた。生々しかった。
町や村を戦場にしてはならないという共通の思いは経験を通して培われた。ヨーロッパ共通の思いは悲願である。悲願をかなえるために必要なのは、意志を行動で示すことである。
 
 現場感覚ほど説得力に満ちたものはない。一つの経験は千の知識に勝る。一人の経験者の意見は百人の学者の意見より説得力がある。私たちがほんとうに知りたいのはテレビにゲスト出演する学者の知識ではない。現場の状況も市民の思いも、学者が百万代言くりかえしてもわからない。知識に感動する人は少ない。
 
 ヨーロッパの経験主義は思想ではなく生活から生まれた知恵である。日本の学者・専門家には、ウクライナを政策ではなく生活で論じてもらいたい。
 
 惨めでつらい経験をしている子どもの言葉や母親の映像に接して何とかしなければという実感がわいてくる。「落ち着いて」と言った若いロシア兵にはおそらく迷いが生じたろう。なんのために自分はこのようなところにいるのか。上官の命令は何だったのか。
 
 初めてヨーロッパを旅したのは昭和44年(1969)夏だった。そのときは感じなかったけれど、昭和50年代初め帰国したとき、日本の都会から何かが失われていると感じ、失われたものがヨーロッパに残っていると思った。戦後日本は教育が変化し、ヨーロッパは変化しなかった。自由と民主主義の土台ができていたので変える必要はなかった。
 
 それにしても明治期以来、太平洋戦争開戦中を除いて日本は欧米の模倣をつづけ、ウクライナへの支援や国際会議の対応も欧米がどうするかを見て「慎重に検討する」という文言をくり返して様子見するが、結局は欧米に追随する。率先ということばが日本の辞書にないのだろう。
隣家が改築したのでウチもというモノマネ姿勢はいつになっても変わらない。目新しいことをやってもおおむね成功しないのは、いきあたりばったりで根気が乏しいからと思われる。
 
 2022年2月28日午後、CNNが伝えたところによると、フォンデアライエンEU委員長がユーロニュース番組で、「ウクライナ市場との単一市場への統合について、われわれは手続きの用意がある。ウクライナとは緊密な提携がある」と前置きし、「彼らはわれわれの一つである。彼らに入ってほしい」と述べた。
 
 EUは同じ日ウクライナへの武器供給を発表。「EUは初めて攻撃にさらされている国への武器や、その他の装備品の購入、供給に資金を出す」という声明を出す。相手はプーチンである。この声明に対してどのような妨害、脅迫をしてくるか不明。
 
 問題は武器の輸送路を確保できるかどうか、長い陸路をへて前線へ早急に届けられるかどうか。ウクライナと国境を接するポーランド、スロバキア、ハンガリーなどの協力の下、米国、英国などの主要国が輸送方法、費用を算段せねばならない。民間会社やNATO(ウクライナは加盟していない)が戦闘にまにあうよう届けてもらいたい。
 
 戦闘が都市部で激化すれば、多くの市民が残っている都市部で食料品や医薬品の輸送経路が断たれ、支えられなくなる。人道支援として必要物資の手配をEUと赤十字社ほかが協力して現地へ運搬する。時は待たない。一刻も早く決定実行してもらいたい。
 
 英国海峡を隔てた英国でさえさまざまな協力を惜しまない。ウクライナを見離せば世論が英国政府をなじるだろう。地続きで第二次大戦中に多大な犠牲を払ったEUが協力しないわけはない。政治目的や経済目的を超越したところにヨーロッパのすごさが出る。
難民救済もさまざまな援助も意図するものはほぼ同じ。そうでない国はいつまでたっても尊敬も信用もされない。自己犠牲を回避する人間が共感をえられず、敬意を払われないように。
 
 今後、ヨーロッパの小さな国からウクライナへ向けての志願兵が続々とあらわれるような気がする。ロシアへの経済制裁は、鈍感で無知な中高年ロシア国民でも、冷蔵庫からモノがなくなればプーチンに対する不満が出はじめるだろう。逆にいえば、そこまで追いつめられなければ自分の鈍感さに気づかないということだ。
 
 ロシア国内にデタラメの情報を流しているプーチンはツケを払わない、国民が支払う。プーチン支持者も、国営放送の報道を真に受ける人びとも、21世紀の暗黒大陸ロシアに住んでいる。
 
 モスクワやサンクトペテルブルクがウクライナからミサイル攻撃されたらロシア国民はどう感じるのか。ロシアは広い。はるか遠く離れた町だから関係ないと思うロシア人は多いだろう。しかし悲憤、恐怖、不安のかたまりになる人もいると思う。
 
 経済政策や国際政治がああじゃこうじゃと論評している人、そういうものだけに捕らわれず、自由と主権、友国の精神の何たるやを再考してもらいたい。
ヨーロッパの国々が生存と自由、主権を勝ち取るためにどれほどの時間と犠牲を費やしたか。プーチンは時代を数百年前にもどし、ウクライナの自由、主権の強奪を平然とおこなっている。
 
 暴力と破壊を平然とおこなう国が存在するということを平和ぼけした日本は忘れている。「民主主義の破壊だ」と叫ぶのはいいが、破壊を肯定する国にそんなご託が通用すると思っているのか。
 
 プーチンの弾圧・非道に対して重要なのは論評ではない、ほんものの政治家の政治力、経済界の熱意に満ちた決断、市民の力の結集である。ヨーロッパの将来を見据え、天然資源をロシアに頼る方針を見直すなど検討を重ね、ロシア包囲網をきずくよう願っています。
 
  
2月28日、上記を書いた翌3月1日、AFS通信の記事によれば、東欧8カ国がウクライナはEU加盟にふさわしいと書簡に署名したことに反して、EUのジョゼッペ・ボレル上級代表が「加盟には長い時間がかかる」と述べ、
さらに、EUのエリック・マメル報道官は、フォンデアライエンEU委員長の発言を撤回、ウクライナはEUの一員ではなく欧州の一員であり、欧州に迎え入れたいという意味だったと釈明した。ジョゼッペ・ボレルはスペイン外相を務めた社会主義の左翼で、スペインの社会労働党首

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