2017-09-30 Saturday
小池流突破力
 
 最近になって政局が大きく動きはじめた。民進党・山尾某のスキャンダル、細野氏ほかの離党などで民進党はボロボロ、小池百合子氏の新党づくりが進んでいないこともあり、安倍首相は彼らの戦闘準備ができていない今が好機と踏み、解散総選挙に打って出たからだ。山尾某の不倫騒動は論外として、小池新党が足踏みしていた一因は慎重な議論云々ではなく、若狭・細野両氏がもたもたしていたことによるだろう。
 
 自民党議員のスキャンダルも多かった。女性問題で離党した中川氏、宮崎氏。金銭トラブルの武藤氏、暴言の豊田氏など。メディアが飛びつくのは彼らより目立つ山尾氏。女性の不倫疑惑ということでメディアの格好の餌食となった。民進党が自民党議員の不祥事につきあうこともないだろうに、血の道だけはどうにもならないのか。
 
 ピンチをチャンスに変える小池氏が「希望の党」代表となり政権選択を提示、一気に選挙戦は加速する。そこまでは取り立ててどういうこともなかったけれど、前原誠司氏が危機感を募らせ、民進党最大の支援団体である連合の秋津氏と小池氏をまじえて三者会談をおこない、民進党衆院議員は希望の党へ引っ越しということになったからタイヘン、民進党のみならず、全国組織のない希望の党までもが批判の矢面に立たされた。
 
 前原氏の英断は可とすべきとしても、いわゆるリベラル派と称される旧社会党(社民党)と彼らの考えに近い面々はともかく、憲法改正に反対、集団自衛権は認めないと旧民主党が決定したため渋々したがった面々もすくなからずいるはずなので、そういう人たちに対しては寛容の精神でのぞむべきだ。
 
 旧民主党は護憲派と改憲派の呉越同舟、根幹部がまとまらない寄せ集め集団だったから、改憲派前原氏の決断はむしろ遅きに失した感がある。
よかれと考えておこなった決断が必ずしもよい結果をもたらすとはかぎらない。混乱と非難のまにまに浮沈し、後悔の淵に立たされるのはだれしも避けたい。踏み絵なんか蹴飛ばして新境地を拓くほうがましと考えるリベラル派もいるだろう。前原ショックから立ち上がって出直しを図る人たちは必ずあらわれる。そういう人たちにとって今回の一件はカンフル剤となるにちがいない。
 
 希望の党の起ち上げに参加した主要メンバーには、旧民主党時代、名前と顔の売れた主力議員をはずしたいという思惑もある。首相経験者のほかに岡田克也、海江田万里、安住淳などの各氏が該当する。
彼らが入ってくれば民進党のままという印象を払拭できず、自公共産と有権者から野合と批判される。それを避けたいということなのだ。「古い革袋に新しいぶどう酒を入れるな」は旧約聖書、希望の党は「新しい革袋に古い酒を入れるな」。
 
 それに、彼らの当選回数の多さ、キャリアの長さは若狭氏をはじめとして当選回数、キャリアの短い人たちに重くのしかかる。選挙後の処遇も難渋するだろう。
小池氏をバックアップしてきた若狭氏はというと、ウラで事件捜査を地味にやっていた人が出てきて、娑婆の空気になれていない。娑婆では、一筋縄ではいかない容疑者より始末のわるい海千山千の自民党ベテラン議員が横行しているのだ。
 
 序盤前半は小池氏に軍配があがったが、序盤後半でメディアが狂喜する事態にいたったのは残念である。メディアが騒いで狂想曲を奏でるとやかましくてしかたない。テレビ局の想像、憶測でモノを言うのは、言う側はなんとも思わないだろうが、聞く側はいいかげんにしろ、言うなら言うでウラを取ってからにせよと思うのだ。元来メディア人間(報道する人々)は先入観が強いし前例重視、しかも固定観念にとらわれる。経験上これはたしかである。
 
 都知事辞任かとメディアから執拗に追及されている小池氏は、愛知県知事大村秀章氏が以前から提唱している東京愛知大阪の3都連携(東海道メガロポリス構想)を模索し、メディア追及をかわしている。
松井氏と小池氏の関係は良好といえないようだが、性格円満の大村氏は松井小池両氏と良好な関係をたもっている。手段はどうあれ、総選挙を契機に3都が連携し共に税金の無駄遣いを改善し、公務員改革もさらに本腰をいれることによって他府県の知事が見習えば相乗効果を生む。
 
 共闘の母は協調である。日本維新の会は関西の地域政党というイメージから抜け出すチャンスかもしれない。大同小異なら、本家はウチみたいなプライドを棚上げし、政治、および政権選択肢の洗練に貢献されたい。
是々非々とはいっても日本維新の会の理念はやや自民党寄り。都構想、カジノ開設などで政権与党の協力も欠かせない。投票箱が開いたら自民党の補完勢力という結果になることだけはなんとしても回避してもらいたい。
 
 メガロポリス構想は見せかけで、中身は東京で維新の候補者を立てない、大阪で希望の候補者を立てないという単なる選挙協力ということもある。それでも大村氏が労を惜しまなかったのは、一縷の望みを託したのかもしれない。
 
 中央がたるんでいるから、あるいは東京がいいかげんなことをつづけているから地方も悪しきマネをする。公務員改革がいつまでたっても改善されない理由である。非改善は市町村にまでおよび、あそこだってやってるじゃないと理由にならない理由に支配されるのだ。その点、橋下徹氏の勇気、突破力は見事。
 
 政治家のたるみ、ゆるみに関して政治アナリスト伊藤惇夫氏は、「衆院が1996年に小選挙区制を導入して以降、候補者個人より党勢や党首の人気を重視して投票する傾向が強くなり、チルドレンと呼ばれる新人が次々当選してきた。不祥事やスキャンダルが相次いだ2期目の自民党議員の安倍チルドレンだ。自民党の高い支持率に後押しされた彼らは、選挙で泥にまみれず2回当選した。そのなかで生まれたゆるみたるみ、そして強い安倍政権を背景としたおごりが表面化した格好だろう」と述べている(毎日新聞9月30日夕刊)。
 
 安倍氏が自民党本部で檄を飛ばしていた。「新党ブームと民主党ブームがもたらしたものは、経済の低迷と政治の混乱だ」。
党内の士気を高めるために、国民に周知するために言ったとしても、新党ブームのさなか政権奪取のため恥も外聞もなく憲法問題で真逆の村山社会党と組み、私たちを唖然とさせたのはどこのドイツだったのか。新党ブームは負の一面もあったけれど、政権交代があったからこそ政治のレベルも若干上がったのだ。
 
  そんなことを書いていて思い出したのは新自由クラブである。40年ほど前、自民党所属の河野洋平、田川誠一氏らが党を脱退し結成した新自由クラブは新党ブームの先駆けとなった。石破茂氏もいったん党を割って新生党に所属、後に復党。国会議員も人の子、離合集散は人の世の常、とりわけ政治家の常とみなすのが実情に即しており、陳腐な言い方をご容赦願いたいが、雨降って地固まる。雨だけ降って地固まらないこともあるけれど。
 
 先日、小泉進次郎氏が「夢と希望を語る自民党。希望を語る希望の党。希望対決でいいじゃないですか」と言っていた。それ以外にも機知に富むセリフを述べており、さすが血の配剤、天才型人間は言うことが違う。だが、選挙戦が本格化すれば進次郎氏の語調は一変するだろう。希望の党の不備弱点、矛盾を有権者にわかりやすいことばで突いてくるだろう。
 
 近年やたらと政策、政策とさも政策だけが政治家の存在意義みたいに喧伝しているが、政策は入口にすぎず、庭と屋内に魅力がなく、実現を伴わねば人はついていかない。民主党政権の失敗はそこにある。
 
 有権者にとって希望の党の弱点をひとことでいえば不安。新人候補の数十人が当選したとして、個々の当選者=ひよっこ議員=を自民党ベテラン議員と較べると見劣りするし、やっていけるのかどうかも疑わしい。希望の党には9月30日現在、小池百合子氏を除いて魅力的人物がいないのだ。
 
 国際社会で好ましい人間関係を構築する上においても魅力は不可欠。交渉能力が高いとか、情報収集力に長けているとか、知識が豊富などというのも大切だが、知恵、勇気、行動力に富む人間がリーダーたるべきである。さらに発信力、突破力を備えた人間が望ましい。 (近年、人間的魅力に似た人間力ということばも使われている)
かつて小泉純一郎氏、橋下徹氏、安倍晋三氏にリーダーのすがたを見た。このところ安倍氏は森友加計問題の野党追及に対して及び腰、消極的というほかなく、安倍幕府の闘犬みたいな江戸町奉行萩生田某に、腰巾着の老中やごますり役人も加わっていいかげんな答弁でお茶を濁した。安倍一強政治の弊害である。
 
 濁せば濁すほど事態は紛糾し、安倍氏の信頼も徐々に低下した。小泉、橋本氏ならどのように対応していたろうと想像することがある。なに、以前橋本氏は女性問題をあっさり認め、「家内に謝りました」と言い、大阪府民のひんしゅくを買うことなく信頼を取りもどした。小泉、小池両氏は自戒の念が強いのでスキャンダルをおこさないだろう。
選挙戦の展開によくわからない面はあるとして、また、メディアに対して横文字を使い煙に巻くのはいいとして、視聴者を考慮し、小池氏にはわかりにくい横文字よりわかりやすい日本語で話してもらいたいものである。小池氏の特長である発信力を生かすためにも。
 
 波のまにまに何が出てくるか、氷山が行く手を阻むかどうか。航海は容易でないから、自分が氷山になって座礁することだけは避けたい。持ち前の突破力を発揮し、勝敗のいかんを問わず与党と渡りあい、政治のレベルを高めてもらいたい。非難されても敗戦しても、命までは取られぬ。

前頁 目次 次頁