2020-03-30 Monday
対策は早めに
 
 都市部は混乱している。危機感の強弱にかかわらず戦々恐々。新型コロナウイルス感染が広がっていない地方はそれほどでもないかもしれないが、他人事と思う人はすくないだろう。
 
 巷間、医療崩壊とかエクモ(人工心肺装置)の生産、エクモを扱う人員が重症患者数に追いつかないとか、さまざまなことが喧伝されている。対策を立てる前に弁解したり心配するのは消極性のあらわれ。
いや、彼らの場合、弁解、心配というより誰かに配慮する。その種の配慮は内輪だけにせよ、カメラの前で語ることではない。医療崩壊を語る前に、最小限に食い止めるための医師・看護士の手配、病床の確保に最大限尽力すべきだろうに。
 
 エクモについて配慮する相手は生産者の企業か、医療関係者か。企業に対してなら稼働率を高め、急いで増産するよう促すべきであるし、医療に携わる人に対してなら取り急ぎ研修をおこない、エクモの扱い方を修得させるべきである。
フランス2の報道(放送はBS1)をみた。民間企業(フランス)の代表がカメラの前で、「人工呼吸器3年分を50日でつくる」と熱っぽく語った。足りなければ最大限増産するのがヨーロッパ流、足りないと言っているだけなのが日本流。
 
 やる気がないなら出ないほうがいい。対策の提言とかアドバイスをせず、心配と弁解だけクチにする識者を報道番組に立たせるとは、くだらないバラエティ番組より質がわるい。
 
 欧米では都市封鎖を実施している国もある。東京や大阪の都市封鎖の是非は状況次第だろう。エコノミックアニマルがアジアを席捲した1970〜80年代の日本、経済を偏重するあまりコモン・センスをどこかに置き去りにした。
ここでいうのはトマス・ペインが提唱したコモン・センスのことではない、代々の英国人が日常生活から学んだ知惠であり、判断力だ。生活の基盤は経済である。そんなことは誰でも知っている。
 
 個人の尊重、公共の福祉はあたかも常識のようになっているけれど、その概念は知識でも歴史でもなく、英国人が生活実態から導いた知惠である。法律も彼らの慣習を成文化したものが多い。日本では明治になって主に仏独の法を参考に作成された。英国では法律は生活に密着した知惠の集成だが、日本では文書とみなされている。
 
 個人の尊重と公共の福祉が互いに争った場合、公共の福祉は結局個人のためになる。
 
 中国政府のように事実を隠蔽するのは論外として、情報公開は国民の混乱を招くとする輩は中国に住むのがよろしかろう。
英国のジャーナリストにとって情報公開は最低限の原則であり、正確な情報を迅速に提供しないのは恥であると考えている。人前でホンネを吐露することをためらい、うわべをかざり、取り繕うことを優先する日本とは恥に対する考えが異なる。
 
 冷淡な人間と温厚な人間を単純に分類できないのは、状況によって温厚な人が冷淡になることもあるし、その逆もあるからだ。冷たくするのは恥だと日本人が考えているかどうかは知らない。
冷温を比較すれば、日本には冷たい人より温かい人のほうが多い。日本にも美点はある。問題は肝心なとき官僚然として、あたりさわりのない発言をする人間が多いことだ。先例にしたがい自分自身に忖度して答弁する官僚を恥とは思わないか。
 
 2020年1月下旬、武漢の新型コロナウイルス、大型クルーザー・ダイヤモンドプリンセスの報道がもたらされたとき、政治家、専門家、ジャーナリストは、感染者を規制したり束縛する法律が日本にないと口々に言った。今回だけではない、事あるごとに必要な法律ををつくらねばならないとくり返し公言してきた。そして喉元過ぎると熱さを忘れた。
 
 穏便にすませたいと思うことに異論をはさむ人はすくないだろう。だが、事を曖昧にし、うやむやにする性癖を持つ人間が日本にはすくなからずいる。そういう傾向が外交におよぶこともあり、ヨーロッパ諸国から軽くみられる原因となっている。
 
 世界中にコロナをまき散らし、ごまかしの数字を発信して、反省も謝罪もないどころか、「わが国の迅速で強力な対応でコロナを終息させている。世界は感謝すべきだ」と盗っ人猛々しい中国に対してヨーロッパの報道人は抗議しているというのに、日本はどう報道したか。
 
 コロナをめぐる米中対立に関して、「こんなときに対立すべきではない、協力しあうべきである」と言う日本人がいる。米国が言わずどの国が言うのか。事をうやむやにしたまま協力するのではなく、責任の所在を明らかにして協力すべきなのである。中国が認めないのは判っている。しかし世界の国々に再確認してもらう。それが米国のような大国の役割である。
 
 イタリア、スペインで一挙に感染者が増えた理由を特定するのは簡単ではないが、1月〜2月の中国人観光客、帰省者が多かったこと、二次感染、三次感染の拡大を十分認識していなかったことなどがあげられる。
理由はともかく、ヨーロッパの2大観光国が悲惨な状況になり、医療現場からの映像をみるたびに言葉を失う。ヨーロッパ贔屓の人々は愕然としているだろう。
 
 イタリアの諸州でも感染者数が激増したロンバルディアやヴェネトは、中国共産党に対して見て見ぬふりを決めこむイタリア政府のかわりに損害賠償請求すればよい。どこかで誰かが勇気を示せば見習う人たちも出てくるだろう。
 
 「長期戦になる覚悟をしてください」と言うくらいなら緊急事態宣言を出すほうがいいのではないのか、アベくん。間合いを計って後手に回れば世論がどう反応するか。のんきな野党は眼中にないから、それでもタイミングなのだろうが、ちんたらやってる場合か。
サクラ、森友で男を下げた感はあっても、一国の総理はくさってもタイである、緊急事態宣言するだけで一定の効果があるのは自明の理。コロナとの戦いは先手を打っても勝てるかどうかわからない。後手に回れば負けるぞ。宣言すれば、懲りない夫人は柵から出にくくなるだろう。なに、柵で囲っても野生の山羊アッキーは勝手に飛び出す。
 
 性悪コロナに性善は通用しない。緊急事態宣言という語彙だけで経済不安になる職種もあるかもしれないが、コロナの早期終息と経済再生のために思い切った対策は必須。
話を単純化するほうが物事はスムーズに進むこともある。特に政治家は先送りすべきではない。遅いことは牛でもする。そこの訳知り顔のおじさん、そんなに急がなくてもという話は、おととい行ってすればよい。
 
 都道府県によって感染状況も感染者も異なり、十把一絡げに緊急事態宣言を出し、横並びで休業要請、学校閉鎖はどうなのか。札幌雪祭りに押しよせたチャイニーズによって新型コロナウィルスをまき散らされた北海道知事は2月末、独自に緊急事態宣言を出した。
知事に緊急事態宣言も休業要請・解除も委ね、各知事が責任を持つというシステムをつくるべきである。当然、補償の大部分は国が負う。
 
 とかく政府の施策は穴が多く、実施も遅い。しかも責任逃れする。知事のなかには「ボク、責任を持たされるのはイヤだ」と反対する知事が出るだろう。住民がどう判断するか不明として、そういう者は次の選挙で落とせばよい。
 
 緊急事態宣言を改憲の前兆とみなすヘボ学者は、国民の私権を制限するからと言う。似非平和主義を相手にするな。ほんものの平和主義は、平和を乱す感染拡大を阻止すべく身体を張って力を尽くす。
まやかしの平和主義はメンツを重んじる中国共産党。どさくさに紛れてミサイル発射する北朝鮮は、ネジがはずれているか、コロナ感染者の始末を隠したいのだろう。
 
 政府・官邸も国会も現金給付を云々するが、現金給付よりマスク増産をスピードアップするほうが先決である。マスク製造に声をあげる企業のため無償援助をおこなう。金勘定はそういうことのためにある。
一日も早く市井の民がドラッグストアで買えるようになることが肝心。ネット業者が一度に50万枚買い占めることがないよう、そういうときこそメディアは目を光らせる。配布の場合、優先順位の設定は容易でないだろうけれど、まずは医療関係や介護ホーム、そして次は均等に配布。
 
 コロナ対応にすぐれていたのは、自治体では仁坂知事の和歌山県、吉村知事の大阪府。それでも大都市大阪の感染者は増加の一途をたどっている。あすはわが身となる前に、ほかの府県も思い切った対策を立てたい。
小池都知事は東京五輪延期の決定を受けて活発に動いている。東京は何をしている、さっさと対策を出せばよいのにとやきもきした。立場上、五輪延期決定前に延期を前提とする動きをみせたくなかったのだ。
 
 緊急事態宣言によって各都道府県知事の対応力に差が出るのは当然。大阪府知事と別の知事ではこんなにもちがうのかと国民が気づくかどうかはまた別の問題。能力の低い知事を次回選挙で当選させる県民は嗤われるかもしれない、喉元過ぎて熱さを忘れると。嗤う者もそのうち熱さを忘れる。
 
 これまでテレビ番組に出演する医療関係者、専門家はほとんど感染症関係で、公衆衛生の専門家は出ていなかった。そういう点でも日本のメディアは対応が遅い。感染症関連のコメンテーターだけでは十分な抑止力とならないのだ。
公衆衛生専門の医師や、データ分析専門医に現状分析と展望を語ってほしい、早急に。ただし、人の顔色を見て発言する公衆衛生専門家は除外し、はっきり自分の意見を言う人に限る。
 
 こういう世の中は誰しも忌避したい。いいことがあるとすれば、自分を見直す時間を持てることと、車の通行などが減って大気汚染濃度が低くなることだ。
 
 自治体の感染経路特定調査に非協力的な者が多い。水商売の従業員と客である。迷惑がかかるというのだ。自分にかかるのだろう。経営者の忖度にかまけて、もしくは女房に知られてはとクチを閉ざす。
それも個人の尊重か。公共の福祉はどうなる。助平根性や化粧品と服飾に憂き身をやつす時間の一部でいい、自分を見直す時間にあてなさい。それと客の五十、六十男、ちっとは自粛しろ。
 
 1918年〜1920年、スペイン風邪によって世界で1000万人以上の死者が出たという。顕著なのは20代の若者の死亡率がほかのインフルエンザに較べて高かったことだ。スペイン風邪に関して多くの推計があったことは小生も承知している。
 
 今後、国内で新型コロナ感染者に20代の若者が占める比率が高くならないと誰に言えよう。若者の一部はきわめて不用心、無警戒。20代が感染すると感染は急速に広がる。3月、わざわざスペインほかのヨーロッパを旅した学生は唖然というほかなく、帰国者を無検疫・無待機で入国させた政府・厚労省の怠慢は懲罰に値する。
 
 人は過去の幽囚であり、過去は人の幽囚である。経験不足の20代にも、過去があるから未来の展望もある。そのかぎりにおいて先人の築いた知惠を見直し、生かさねばならないだろう。
 
 イタリア、スペイン、フランスなどの医療現場で寝る間も惜しんで、へとへとになっても重症感染者のため奮闘する看護士、医師のすがたをBBCやフランス2の報道番組でみるたびに感動し、胸が熱くなる。
 
 英国では手の足りなくなった医療現場の支援に休業中の航空会社乗務員を派遣することを検討しているという。
二度の大戦を経た英国では、第一次と第二次大戦のさなか、従軍兵の姉妹や妻、友人は、急ごしらえの臨時病院や看護施設で重傷を負った帰還兵や、空襲で爆撃された市民の看護にあたる。看護に志願する女性も多かった。アガサ・クリスティもそのひとりである。ポワロの人間愛はクリスティの経験から生まれたのだ。
 
 敵は見えない。医療現場での三次感染、帰宅後の四次感染のおそれもある。検討は苦渋のすえであるし、航空会社乗務員の対応も非常に難しい。断られても文句はいえない。派遣の是非は英国内のメディアで論議されるかもしれない。
 
 過去にとらわれて何年たったろう。すでに亡くなった家族、知人は生きている人より生き生きしている。過去の人々とかわす追懐の時間は伴侶との語らいに匹敵するくらい長い。

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