2004-01-22 Thursday
忘れられるのが怖い
 
 海外で活動するNGOなどボランティアのひとりがいった言葉である。
「ここで何が起きたか、どうなったか、忘れてほしくないし、忘れられるのが怖い」のだそうだ。
 
 彼女はたまたまイスラエルにいたが、戦争や内戦がいまなお行なわれている地域で活動している若いボランティアのなかにはそういう意見は少なからずあるだろう。あえていうが、私は早く忘れたほうがよいと思う。忘れないのは歴史家だけでたくさんである、一般の市民も、よそからそこに入ってきたボランティアも、いまわしいことはできるだけ早く忘れなさい。
 
 肉親を殺された人は忘れようとしても決して忘れられない、あるいは、末代まで忘れたくない、ゆえに報復の連鎖は消滅することなくつづくのである。実際にそういう憂き目にあった遺族や友人は忘れることができないのだ、平和な国・日本からある種の使命感を担ってはるばるやって来たとはいえ、「ここで何が起きたか忘れてほしくない」とは何事か。
 
 君は肉親や親友を失ったわけのものではない、それをどう勘違いしてか、肉親を殺されてこの世の地獄を経験している人に対して「忘れてほしくない」と君はいえるのだろうか。人間は忘れることができるから明日に向かって生きることができるのである。
 
 忘れられるか忘れられないかは各人の判断にゆだねるのがおとなの分別というものだ。それを「忘れてほしくない」というのは分別ある人間のいうことではない。君にしても、いまボランティアに専念できるのは、君の家族の不安と憂慮の犠牲の上に成り立っているのである。そのことを忘れてはならない。君の家族にとってみれば、まさしくそのことを「忘れられるのが怖い」のだ。
 
 イラクに派遣された自衛隊の活動が本格化しはじめた。派遣された自衛隊員の多くは、テレビの画面で見るかぎりきわめて友好的であり、サマーワの各部族に親イラク的とうつるだろう。部族長は職の手配をしてくれるならいっそう親日的となるという。もっともな話である。
 
 世界は広い、だが、自衛隊には自衛隊にしかできないことが、さらにいえば、日本人にしかできないことがある。そのことを世界に、そして同胞に示してほしい、私は心からそう願っている。
日本人って捨てたものではない、そのことをはっきり顕示することが、私たち日本に住む者にとってもっとも必要なことであると思う、この国に住む人々に明確な誇りを取りもどすためにも。
 
 こいねがわくば、今後イラクに派遣される自衛隊員全員が無事帰国することを願いつつ。

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