8   映画を愉しむ(4)
更新日時:
2005/03/25(金)
 
 うまい役者が揃うと映画はおもしろくなる。ということは、同じ映画、同じ場面でも、役者がちがえばおもしろみがなくなるということである。セリフのほとんどない、表情と間だけで観客の目を釘付けにする役者こそ銀幕のスターと呼ぶにふさわしく、それは役者の人気や知名度とは無縁で、私たちにとってのスター、星なのである。星とは本来ひかりかがやく存在である。役者の表現力によっていかようにもかがやきを放ち、いかようにもかがやきを失う。肝心な場面で観客に感動をあたえ損なうのは役者の表現力不足ゆえなのである。
 
 「ブリジット・ジョーンズの日記 第二弾」はありふれたストーリであるにもかかわらず、前作と同じ顔ぶれが揃ったことで前作を凌ぐ傑作となった。この映画をみると、映画のでき・ふできがストーリーではなく役者に依ることがよくわかる。繰り返し使われてきた古典的手法が感動を呼び、ありふれた場面が新鮮にうつるのもそうした理由からである。
 
 ブリジットが、いかにくだらないことが原因で男と別れたかを気づく場所の設定も映画の魅力のひとつであるのだが、そこにいたるまでの恋人役コリン・ファースの名演と、ブリジットを救いにタイまで来て、素直にホンネを打ち明けられない心理の表現が出色、その名演が感動を生むのだ。
コリン・ファース、思えば長い道のりだった。「高慢と偏見」で女性ばかりか男をも唸らせる演技を披露し、「恋に落ちたシェイクスピア」の伯爵役、「ラブ・アクチュアリー」の作家役、「真珠の首飾りの少女」の画家フェルメール役など、さすが英国の役者はちがうというかがやきを放っていた。
 
 ヒュー・グラントについてはくどくどしく言及する必要はあるまい。「ラブ・アクチュアリー」の英国首相役を大好演、好演に「大」の一文字がつくのは、「日の名残り」、「ウエールズの山」、「フォー・ウェディング」など、おかしみのある二枚目はこの人の本領である。コリン・ファースとは同年生まれ(1960)、互いの持ち味は異なっても、両者ともに芸域はいたって広く、出演作に当たりはずれはない。
 
 ブリジット役のレニー・ゼルウィガーは、「ブリジット・ジョーンズの日記」のようなコメディ・タッチの映画も無難にこなしているが、次回か次々回あたりで時代劇や文芸ものに出演してもらいたい。
この人なら、ニコール・キッドマン(「ある貴婦人の肖像」)のように破綻をきたすこともないだろう。その節はぜひにでも自然な演技でのぞんでほしい、バネッサ・レッドグレイブやジュディ・デンチ、タラ・フィッツジェラルドのように。



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