4   映画を愉しむ(8)
更新日時:
2005/05/27(金)
 
 子供たちが主役の映画を見るといつも懐かしさで胸がいっぱいになる。なんの変哲もない映像とストーリーであるにもかかわらず、五月のよく霽れた空のようにさわやかでまぶしい。「コーラス」もそうした映画で、男の子だけの寄宿舎を舞台に、赴任したての先生と生徒のあいだに生じる愛と葛藤の物語。
 
 家庭に厄介な問題があったり、愛情に飢えて非行に走ったり、さまざまな事情をかかえて寄宿舎に入れられ、不自由な生活を余儀なくされている子供たちのウサ晴しは先生や用務員にいたずらをすることだった。ともすればこの種の映画は、子供と大人の対比を際立たせようと大袈裟で過剰なシーンを多用するのだが、ジャック・ペランはそういう月並さを終盤まで避けた。
 
 出てくる子供たちも特に眉目秀麗な男子はおらず、どこにでもいそうな顔立ちをしている。寄宿舎の校長はわるさをした子には体罰を与えるのが常套、新任教師は屈折した子供の心をいやすには音楽がよいのでは‥。月に二度の肉親との面会のほかには楽しみもなく、外出することさえできない彼らの心をささやかな楽しみに向けさせることで何かが生まれるのではと考える。
 
 最初は抵抗していた子供たちも、新任教師のあたたかい献身に次第に心がほぐれてくる。そのあたりの描写、展開が自然でムリがない。あたたかいのは新任教師だけではない、年老いた用務員の子供たちに対する愛は特筆に値し、深い愛を捧げてなお過剰に流されない演技は秀逸としかいいようがない。
 
 それにしても子供の歌声はなぜにかくも美しくせつないのだろう。私たちはいきなり中高年になったわけのものではなく、子供時代のない人はいない。透明感のある妙なる歌声が私たちを追憶にふけらせ、清々しさにみちた子供時代にいざなうのだろうか。
 
 自分のためにだけ生きたいと思う人の多くなった時代にあっても、人はどこかで人の役に立ちたいとひそかに思っている。すくなくともわが子のためにできるだけのことはしたいと考えている。
では、家族のいない人はどう考えるか。家族のいない新任教師は、子供たちを生かすことがすなわち自分を生かすことであると思った。いや、そうではあるまい、それは結果であって、彼はとにかく子供のために何かをしたかった。結果的に子供の心がいやされることが彼の心の支えとなったのである。
 
 映画のなかで語られているように、彼には音楽家としての確たる才能はなかった。しかし、それにもかかわらず彼には音楽を生かしたいという気概があふれるほど存在した。この映画がフランス市民の多くの共感を得たとしたら、それは彼がどこにでもいる市井の民であるからだ。
ささやかな勇気と情熱があればだれにでもできるかもしれない行為、でも、たやすくはできない行為。
そのあたりの微妙な表現が見事で、終盤まで一気にみさせてくれた。



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