25   つたわりますか(1)
更新日時:
2003/08/28(木)
 
 伝わりますか、メールで。伝わりますか、携帯電話のデジタル文字で。伝わりますか、文字とは名ばかりの血のかよわない無機質なフォントで。伝わりますか、手紙にしたためるときのようにこまやかで、微妙なニュアンスが。
 
 便せんはその人の肉体、インクは血なのです。だから肉筆というのではないのでしょうか。肉筆は表現力の有無にかかわらず独特の味わいのあるものです。豊かな表現力に満ちあふれたメールと、近況報告のみの肉筆と比較すれば一目瞭然、メールは肉筆のもたらす彫りの深さと陰影の前に顔色なからしむのではありますまいか。
 
 用件を伝えるだけのメールの至便性は画期的ともいえるし、暇つぶしのために送受信されるメールは格安の交信方法です。しかしながら、チリも積もれば山となり、毎日数百回のメールをやりとりし、勿論メールだけでは物足りないでしょうから通話も重ねる、となると、Docomoなど通信会社の思う壺、要するに君たちは通信会社の恰好のカモなのです。カモといって語弊があるならターゲット、または金のなる木。
 
 メールの存在は侮れないものがあり、将来的に脅威となると思われるのはその浅薄さであり、それにもかかわらずメールで心と心が通い合うのではと思わせる安易な錯覚性ではないでしょうか。浅はかなものはすべからく抜群の浸透性の速さと高さをもっています。浅はかとは失礼なという人には、安直なと言い換えればよいかと思います。ヒット商品は安直でなければならない、これは鉄則です。
 
 21世紀はますます安直な、浅はかな時代に突入する、これも避けがたい時代の流れであると思われます。頭は使わず電子辞書がその代りをする、キーを押せば家電をはじめとするホーム内設備の遠隔支配と自動化が思いのまま、肉体は遊びと遊びを持続するためのトレーニングの奴隷となる。
 
 性交渉もメール化され、ほとんどのメール同様、用をたすだけのものとなります。性交渉の公衆便所化、そういっては身も蓋もありませんが、アナログであるはずの肉体はデジタル化され、清潔この上ないキーボードとなり、男女は1から0の数字か、アルファベットのA〜Zのどれかに類型化されるのです。
 
 お互いに尊重しあいながら干渉すべきことを、ダサイとかウザイとかで済ませるから、肉体の繊細な反応が本来のそれではなく、無機質で不感症なものへと後退します。肉体と心は別々のものではない、それらはひとつのものなのです、それがアナログということの意味です。それらが互いに影響を与えあうものなのに、そうならぬよう単純な方向づけをするのがデジタル化ではないでしょうか。
 
 肉筆は字の上手下手にさえその人の性質というか特性が表出されますし、上手な字にも下手な字にも私たちはかぎりない愛着の情を禁じえないように思うのです。字の下手な私がいうのもなんですが、下手な字には下手なりの味があるのではないでしょうか。味があれば読み手に何事かが伝わるのではないでしょうか。もらって嬉しいのはやはり肉筆の手紙です。
 
 いまも膨大な数のメールが飛び交っていることでしょう、「いま何してる?」とか「いまどこ?」というメールが‥。メールのもつ無機質、無意味が日常化すると、人はその歩みに順うのではありますまいか、無機質が自然なことのように受容されるのではありますまいか。それでも私たちのこまやかな心情が伝わりますか。幾重にも折り重なった心の襞(ひだ)が、その襞にひそむ思いが伝わるのでしょうか。
 
                         (未完)



次頁 目次 前頁