22   つたわりますか(4)
更新日時:
2003/09/24(水)
 
 昔、といってもほんの20〜30年前にも親離れしない子はいました。その当時といまの違いは数です。
親離れできない子の数が近年異常にふえたことです。そして、これがさらに問題であると思うのですが、子離れできない親が激増し、特に母親にその傾向が著しいことです。
 
 1960年代までは子育てに失敗したなどと人から思われるのは、たとえ他人の評価なんて気にかけないと突っぱるタイプの母親でも内心おだやかではいられなかったし、面と向かって「子育てに失敗しましたね」などと臆面もなくいわれようものなら、憤慨しました。無論、現在の若い母親も「失礼ね」と怒ることは怒るでしょうが、怒りの内容が当時と異なるのではありますまいか。
 
 どう異なるかについては性格の違い、いわれた相手との親密度、そのときの状況などによって個人差がありましょう。私はこう思っています。「子育てに失敗したね」という人の多くは子育てに失敗した人であり、同病相憐れむの類です。子育てに失敗しなかった人がそういったとすれば、それはたぶん虫の居所がよほど悪かったか、単なる意地悪でしょう。
 
 なぜ子離れできないのでしょうか。この疑問に対してはさまざまな議論があって、こうこうこうだからこうであるという説得力をもつ見解は示されていません。昔とちがい、子離れしないのが時代の本流であり、子離れしないことを恥と思っていない母親の多いせいもあります。
親離れできない子が存在する以上、仕方ないとあきらめている親もいるし、子離れしたくない親の増加も無視できないでしょう。
 
 戦後約60年経過し、私たちの生活は飛躍的に豊かに、便利になりました。そういった豊かさ、至便性はあらゆる分野に行きわたっています。とりわけ通信の至便さ、低コストは往時に較べれば超加速度的進歩、手紙よりメールのほうがはるかに安く速いのです。
電話料金も、かつての大阪ー東京・3分360円時代からみれば夢のごとしです。そういう進歩が親の子離れを阻止している面がありはすまいか、 といえばもうお分かりの方もおいでかと思います。
 
 お金がかからないことは立派な名目となるでしょう。安いから買う、安いから使う。問題なのは、安いから使いすぎる、かけすぎることです。しょっちゅう電話をする、メールを送る、そうしないと落ち着かない、不安でしようがない、そういう傾向が異常なまでに強くなっているように思います。
 
 毎日声をきかないと、あるいは、メールをみないとどうしようもない、いてもたってもいられない。
それが親の子離れの邪魔をしているのです。通信網が未発達で、コストもかかった時代‥‥
いまもそういう国は地球上にありますが‥には、一通の手紙、電話に無上の価値があったのです。
そしてまた、家族を肉視し、肉声をきくことが意味をもっていた時代は遠くなりました。
 
 たまにしか電話で話せない、手紙が届くなんて1年に一回、風の吹き回しのよい年でせいぜい2回、そういう時代にあっては、親子の「緊密」度も逆に濃かったようにも思えるのです。
なににせよ、回数が多いからといって親密度がそれに比例するとはかぎりません。問題は中身ではないでしょうか。親密度が増したとしても、イライラと不安の上になり立つ親密さであれば、常に相手から安心を提供してもらわないと、不安もイライラも解消できないでしょう。
 
 かくして親はいつまでたっても子離れできないのです。
 
                            (未完)



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