2   映画を愉しむ(9)
更新日時:
2005/07/11(月)
 
 ジュディ・デンチ、マギー・スミスの共演による英国映画「ラヴェンダーの咲く庭で」(LADIES IN LAVEVDER)の舞台は南イングランド・コーンウォール州のどこかにある海岸。英国の名女優が姉妹となって住む家は海岸に立つ崖っぷちにある。崖といっても、切り立つような険しい崖ではない、緑ゆたかな草におおわれた、そんなに高くはない崖である。
 
 「いそしぎ」に出てくる家も海岸の崖にせり出すように立っているが、この種のロケーションは見る者にこれからはじまるドラマの起伏を予感させる。キャストの演技に花を添えるものの一つは、まちがいなくロケーションであり、名優は、あたかもそこが長年住みなれた我が家のごとくふるまう術を知っているし、屋内にいても屋外にいても、何の不自然さもなく風景に溶けこんでいるのだ。
 
 映画の成否はすでに冒頭で決定づけられている。映画好きにはわかるだろう。南イングランドにかぎったわけのものではなく、ヨーロッパの多くの海岸線には、そうした老姉妹が住んでいると思われる。すくなくとも、そう思わせるものを英国の両女優は持っている。
 
 姉妹には長年仕えている同居人がいる。料理、洗濯、掃除をこなす太目の女性で、これがまた風景になじんでいる。陽気でざっくばらん、仕事熱心で頑固、大雑把で気丈夫。昔なつかしい小間使いを絵に描いたような家政婦。これら大年増三人が、漂流して一命をとりとめた若いヴァイオリニストの世話をし、共同生活をはじめる。
 
 妹は青年の世話をしているうちに、失われた時をとりもどすかのように女としての自分にめざめ、姉はそういう妹にある種の危機感を抱くが、姉妹の日常に忘れ去られた活気とにぎわい、躍動感がもたらされたことで嬉々とした日々をともに過ごしてゆく。そういう生活が長くつづかないことへの暗黙の了解はあっても、青年がもたらした芳潤な香りを手放すことはできない。
 
 そういう日常の繰り返しが熟年女三人によって豊かに繊細に表現されるのである。そこまでのシーンをみるだけで時間を忘れる。彼女たちの演技が演技であることを感じさせず、老女優という域にとどまらず、華やかさのなかに足を踏み入れ、節度を守りながら、節度からはみ出すのではないかと観客に思わせ、ナマの舞台劇でもないのに、いつの間にか観客の息が彼女たちの息に合ってゆくからである。
 
 中盤と終盤、かなしいほど切ないヴァイオリンの音に私たちが陶然となる場面がある。むろんこれは、姉妹の、とりわけ妹の心情を楽器があらわしているのだが、この映画のふれこみに、「エリザベス女王が、ロイヤルプレミアに駆けつけ涙した、大人たちのおとぎ話」というのがあって、女王が感激されたのはおそらく、終盤のヴァイオリン協奏曲演奏の場面からラストシーンまでと思われる。しかし、ホントかなと首をかしげてまう。
 
 上記のふれこみがまぎれもない事実であるとすれば、女王は名もない庶民の心をご理解されるばかりか、報われない老女に似たような経験をお持ちのはずで、もしそうでなければ、老女の気持は理解の外といわざるをえない。グランドホワイエと幕切れのシーンは、女王が感涙するようなものとはむしろ対極にあると思えるからである。



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