19   客商売はかくあるべし(1)
更新日時:
2004/02/14(土)
 
 表題のような、何がどうでどうあるべきかを云々することでお分かりかと思うが、私はそういう世代に属している。そういう世代とは、客商売をいとなむ人々は客に対して無礼をはたらくことを極力避け、また、グロテスクな面をさらすことを回避すべきという時代の洗礼をうけた世代なのである。
 
 業種のいかんにかかわらず、客に接する者は客に対して不快な顔をみせてはならない、これは鉄則というべきである。不快顔は客と接しているときだけのことではなく、眼前に客の存在しないときもしてはならない。どこでどう客がみているか分からないからだ。
客に応対していないからと従業員が大口あけておしゃべりしたり、さらに歯をみせ、のどまでみせんばかりに大笑いするさまは近年たびたび目にする光景で、ぶさいくとかみっともないと弾じるつもりはないが、どうみても美しい光景とはいえない。
 
 いつの頃からかそういう風景が日常化し、それくらいのことにメクジラを立てているようでは女性のほとんどは離職しかねないという理由から受容されるようになった。大規模小売店などでは一部不心得客をのぞいて、客の多くは遠慮がちで、本来控えめであるべきはずの彼女たち従業員が闊歩し、わがもの顔にふるまっている。
 
 客が恐る恐る彼女ら従業員にものを尋ねると、彼女らはそんなことも知らないのかと侮蔑の表情に変わり、顔の筋肉が引きつる。こういう日々がつづくと、従業員のほとんどの目がつり上がり、さながら童話のキツネと化すようにも思うのだが、そしてまた前述のバカ笑いで目尻の皺がドンドン増えて、実年齢より十歳は老けるのではないかと危惧するのだが、彼女らはいっこうにやめる気配はない。
 
 過去現在そういう風景を欧米で目にすることはたびたびあったけれど、日本で目にすることは少なかったように思う、一昔前までは。だが、自らの感情を押し殺すことは美徳ではないとの価値観が蔓延した感のある昨今、辛抱は悪徳と化したのである、まことに嘆かわしいというほかないのであるが。
 
 客商売にたずさわる者の心得のなかで最重要視すべきは寛容の精神である。その次に心得ねばならないのはわざとらしくない態度ともてなしである。客が万一、あなたの生命、財産、尊厳などを脅(おびや)かすふるまいにでたとき、あなたはあえて寛容の精神を発揮する必要はないが、客の容姿や雰囲気があなたの好みに合わないから許さないというのは論外である。ちいさいことを許さないのはなぜか、私にはさっぱり分からず、しげしげと彼および彼女らの顔をみるばかりである。
 
 許せないと怒る人の特徴は、自分はどこかで許されると思っていることである。ところがどっこい、あなたたちと同世代の人々はそれを許さない。お互いに寛容の精神が欠如しているからだ。いつの時代も経験は知識にまさる、そのことを知ってか知らいでか、特定の分野で少しばかりの知識があるからといって得意になり、おごりたかぶるのは愚の骨頂以外の何ものでもなかろう。
 
 慇懃無礼、傲岸不遜がなんの違和感もなく容認されているとはまったく思わない、が、周囲にそういう輩が増殖すれば、それが当たり前となって受容される日もそう遠くないのかもしれない、桑原々々。
 
                      (未完)



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