18   客商売はかくあるべし(2)
更新日時:
2004/03/05(金)
 
 業種はどうあれ、客商売にたずさわる者の心得の第一は接客態度のよしあしではあるまいか。これがなっていないと、店の内外装や従業員の服装などがいかに見た目にきれいであってもゲンナリする。逆に、かれらのなかに「人間が好きです」という顔を見るとホッとする。そういう顔をしている者に接客態度のわるいのはいない。
20〜30年前にはどうしようもない慇懃無礼さ丸出しという輩が多数‥それもいわゆる高級という名のつくホテル、レストランや店舗に必ず‥いた。彼らの先輩と称する者たちが教えてきたことは、まず客の風采を品さだめし、特に履物を見て客の値踏みをしろということであった。
 
 靴のヨレヨレ具合、汚れ具合で客の人となりを判断せよとのことなのだが、ホテルやレストランに行くたびに新品をはいてゆけば、靴はいつまでたっても足になじまない、逆に、足になじんだ革靴は形がすこし変形する(その人の足形に)ものなのである。そういう自然の理(ことわり)を度外視して、履物を見て客の値踏みもあったものではないが、当時はそうした拙劣な方法で客のランク付けをしたのである。
 
 むろん、そういう彼らの顔のどこを探しても、人間が好きですという部分は見い出せるはずもない。詐欺師でもペテン師でも新調した服と靴を身につけていればよいわけであってみれば、額に汗してはたらき稼いだカネで食事する人、物を購入する人は肩身のせまい思いを経験しなければならなかったのである。
 
 あの当時、昨今の状況をだれが予測しえたであろう、高級ホテルとか高級料理店はその種の商売、つまり、上記の職業についている胡散臭い者たちや、料金を経費で落とせる者たちの「ふきだまり」と私たちはみなしていたのだ。ふきだまりと異なる様相を呈するようになったのはそんな昔ではない。
 
 ところがそういう輩に代わって、いつの頃からか新人類が登場してきた。新しい人たちの共通点は、いつまでもバルザックのライフワークのごとき顔をしていることである。そうした顔をしてもらっては困るのだが、どういうわけか彼らはバルザックの作品なのである。そういう者に対して「人間が好きです」という顔をしなさいというのは酷というもので、なすすべもなくそうした顔を見るのみなのだ。
 
 こういう傾向がいつまでつづくのかはだれも分からず、ただただ接客の際の彼らの顔が変わるのを待つしかない。時代は刻々と悪い方向に向かっているとの見方もあり、待っても待っても顔が良い方に変わるのは望み薄かもしれない、だが、いつか良い方に向かうこともあるかもしれないと待つしかないのである‥‥。嗚呼!



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