11   映画を愉しむ(1)
更新日時:
2005/02/09(水)
 
 はじめて外国映画をみたのは昭和31年、小学生のころだった。あれはたしか「紅はこべ」という英国映画で、英国貴族がアイマスクのような覆面をして「紅はこべ」になり、正義のために悪漢とたたかう映画だった。主演俳優の名も詳しいストーリーもおぼえていないが、粋で勇敢な主人公の太刀さばき(フェンシング)の見事さは記憶の奥にいまなお鮮明にのこっている。
 
 時おりしも日本映画全盛期、映画館の数もいまとは比較にならぬほど多く、どんなちいさな町にも映画館の一つや二つあった。私たちの世代は映画を通じて外国文化を吸収してきたのではないだろうか、そう思えるほど映画の貢献度は高く、それゆえに当時の映画は単なる娯楽産業ではなかったのである。
 
 メディアによる情報がすみずみまで浸透している現在では考えもおよばない映画の役割を思うとき、深くなじんだすえに生き別れになった異性と久しぶりに再会したかのような、居心地のよさともなつかしさとも判然としがたい感慨がふつふつとわきあがり、思わず杯を傾けたい気分になる。
 
 「ローマの休日」に出てくる「スペイン広場」や「真実の口」を、映像からではなく直に肉視したいと切望したからこそローマへ旅することとなるのであろうし、「旅情」のせつない別れの疑似体験をしてみたいという衝動にかられるからヴェネチアに行くのかもしれない。それにしても、オードリー・ヘプバーン以外の女優が「ローマの休日」の主役を演じるのは無理というもので、それは、「風と友に去りぬ」のスカーレットをビビアン・リー以外の女優が演じることはできないのと同じである。厚顔無恥の米国ハリウッドが、二作品のリメーク版をつくろうとしないのは正解というべきか。
 
 詩情ゆたかな映画、劇的展開に満ちた映画、サスペンスもの、趣向や内容は異なっても、面白い映画は見はじめたらアッという間に終わってしまう。ここ十数年間に見た映画のなかで特に印象にのこった映画を列挙するというのも手前味噌ではあるが、「マルセルのお城」、「トリコロール・白の愛」、「王妃マルゴ」、「パリ空港の人々」、「日の名残」、「無伴奏シャコンヌ」、「日蔭のふたり」、「遙かなる帰郷」、「キャラバン」、「この素晴らしき世界」、「ゴスフォード・パーク」、「列車に乗った男」など。
 
 「ゴスフォード・パーク」は英国の舞台俳優が出揃った感のある作品で、顔ぶれを見るだけでも愉しいが、だれがどんな役でで出て、どんな演技をするかを見ればさらに愉しい。映画を見る醍醐味のひとつは展開を読むことにもあって、たいていの米国映画は次の展開を簡単に読めるからつまらない。それにくらべれば、英国やフランス映画は展開が容易に読めない作品もあって面白く、その読みにくい展開を読むことに映画の愉しさを見出す。
 
 私は映画を見ながら映画の展開を推理する。これはもういかんともしがたい習性としかいいようのないもので、スクリーンの奥に隠された人物の過去と未来を読む作業を暗がりのなかでおこなうのである。そしてたまさか、そうすることで自らの集中力を高めているのである。
 
                             (未完)



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