1996年に、ある季刊誌に「作家のつぶやき」と題して連載されたものです。

 

その3

機上にて
 世の中には、科学では説明のつかない不思議な現象が時々起こる。

 今から5、6年前、近所の寺での月に一度の早朝座禅会に出席した時のこと。
 座禅会とは言っても、般若心経を唱え30分ほど座禅を組み、昔東映の斬られ役をしていたという和尚が作った朝粥とおかずに舌鼓を打ちながら世間話をするという、いたって気兼ねのない会だった。

 そこで私が目を閉じ座禅を組んでいると、突然、目の前に眩いばかりの光の塊が現れたのだ。
 眩しくて初めはわからなかったが、しばらくすると光の中心にお釈迦様のような姿が見え、眩しい光はそこから放たれているのがわかった。私はしばらくの間その光に包まれていた。

 信じてもらえないかもしれないが、本当の話である。

 その後そのことについては深く考えなかったが、最近テレビで、ある霊能者が同じような体験をしたと話していた。彼はそれ以来不思議な能力が身についたそうだ。
 私もあの体験をしてから、子供が頭が痛いと言った時、右手で撫でてやると痛みが取れたり、妻の顔に手を当ててやると急に美人になったり……という有り難いことは全く起こっていないのだが、せめて祈れば目の前にお金でも現れる能力が身についていればという煩悩に包まれながら、世の中には現在の科学では説明できないものもあると確信したのだった。


 エジソンは、「発明は99%の努力と1%のインスピレ−ションである」と言った。
 しかし私が思うに、作品を創る場合は、いくら努力しても、いくら優れた技術があっても、人の心を打つものを創ることは難しい。1%どころか99%のインスピレ−ションが必要なのではないだろうか。

 …どうかお釈迦様もう1度、私の前に現れて内緒でもっともっとインスピレ−ションが沸く能力をお与え下さい。残りの努力は惜しみません…


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