第十六話 

 熊川宿 かわ

滋賀県の朽木を経由して寒風トンネルを抜けると若狭の国に入る。しばらく走ると上中町に至るが国道の左側にある道の駅より旧街道に入ると宿場町の面影を残す熊川の町並みが見られる。

国道303号線は今は若狭街道と呼ばれているが古くは鯖街道と呼ばれ、日本海で獲れた魚や貝を遠路はるばる京都に運ぶ重要な街道であった。 ここ熊川宿は秀吉の命により若狭の領主となった浅野長政が交通と軍事の重要な拠点として宿場町を設けたとされている。

宿場町の面影を堪能しながらゆっくりと車を進めると、丁度熊川宿を二分するように橋がある。 これは国道に平行して流れている北川へ注ぐ支流の河内川の出会いである。 ここで左折して河内川沿いの道をしばらく行くと河内温泉と書いた看板があり民家と変わりないひなびた温泉宿が一軒あつた。 温泉の横を通り抜け道は狭く未舗装となるが、そこから約5-6km程上流にかわせみに会える放流釣り場があった。
あったと記したのは10数年ほど前に河内川上流にダム建設の計画があり、やむを得ず放流釣り場閉鎖して石川県の白山山麓へ移設されたと聞き及んでいる為である。又温泉も然りである。

晩秋のとある日に河内放流釣り場へ出掛けた。

管理小屋周辺の渓はしつかりと石で仕切られており、その枠の中で釣り人たちが放流された岩魚、アマゴを釣るのであるが、私はどうも仕切られた場所は好きではないので、あえて仕切りのない管理小屋より随分離れた下流部を選び竿を出していた。 当然そこは放流はされていないので居残りといわれる岩魚やアマゴは少なく又、自然の木の枝や岩により釣りは楽ではないのであるが・・・ したがってその場所は一般の釣り人の姿は無く静寂そのものである。

私が竿を出している場所より約10mほど下流でポチャンと水音がしたのでそちらを見ると何とかわせみ(翡翠)が渓を跨ぐように張り出した枯れ枝の中央に止まっているのである。 かわせみは頭を下げて水面をぞきこむ様にしている。私はかわせみを見るのがこれが初めてであり、釣りどころではないと思い竿を置いて観察することにした。 羽根は深緑色,腹は赤褐色,背から尾にかけて青色である。 何と鮮やかな色合いであろう おそらく私の知る限りでは本州に常時生息している鳥の中では鮮やかさはトップであろうと思われた。

彼女は時々首を僅かに横に振りながら水面を覗き込んでいるが魚影が無いのであろうか、なかなか再び水中に飛び込まないのである。どうやら最初の飛び込みで捕獲に失敗したので魚たちは驚いて岩陰に身を隠してしまったらしい。ほんの数分間その状態で水面を覗いていたが、突然、ぷいと何処となく飛び立っていった。 

カワセミもヒスイも漢字で表示すると翡翠であるが、もともと翡翠とはカワセミの中国名であるらしい。色々な色彩をもつという意味でカワセミがヒスイの色表示に使われたと云われている。すなわち、翡は赤色を,翠は緑色を示し,それらと同色の色合いを持つヒスイを翡翠玉と呼んだが,石名の玉がいつの間にか除かれ、色名の翡翠が石そのものを指すようになったと物の本にある。  第十六話 完                     

その後何度かこの放流釣り場へ来た時には、必ずこの場所を訪れたが再び彼女のの美しい姿を目にすることがなかった。 かわせみはこのような狩場を何箇所か縄張り内に持っており、定期的に巡回しているらしいが訪れたときは何時も、止まり木の枯れ枝が風に揺らいでいるのみであった。 これが一期一会の出会いであり、各地の渓にはそこそこ数多く訪れているが、ヤマセミやカワセミにいまだ出会ったことが一度も無いのである。

翡翠(かわせみ)と翡翠(ひすい)

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あすなろつぶやき
参考:ヒスイ(翡翠)は「NaAlsi2o6」で表され不純物としてCrなどが混入すると緑色に発色する。
第十七話 魚釣りをするサギ